あの時の恩、音で返す 木村屋→輪島の中浦屋 CDの売り上げなど寄付へ

▲ 木村屋の再出発を機に開発した「夢の樹バウム」を手にする木村昌之さん㊧と、ギタリストとして世界からも注目される洋平さん。それぞれの形で、輪島の同業者を支援する

 東日本大震災で被災し、陸前高田市高田町で再建したおかし工房木村屋(木村昌之代表)。その再スタートを後押しする契機となった石川県輪島市の老舗菓子店「柚餅子総本家 中浦屋」が、能登半島地震で被災した。木村さん(66)は菓子製造を通じ、また長男の洋平さん(38)は自らが得意とする音楽で、中浦屋に13年前の恩返しをしようとしている。洋平さんが手がけ、売り上げの大半を寄付に充てるギターインストゥルメンタルCDは11日(月)から予約販売を開始する。(鈴木英里)

平成23年に中浦屋から譲られたコンテナ。再建された木村屋で「赤」がデザインのワンポイントに使われているのは、このコンテナの色から


 木村屋は昭和元年の創業から85周年を迎えた平成23年、気仙町今泉にあった本店、高田松原の物産館にあったパンと洋菓子の店「窯工房」がいずれも被災。再建できるかどうか、まだ何も見通しがなかった同年夏、木村さんは市役所仮庁舎で、中浦屋社長の中浦政克さんにたまたま引き合わされた。
 できる支援はないかと同市を訪れていた中浦さんは木村さんの話を聞き、「菓子を製造できない苦しみは身に染みて分かる」と、木村屋に調理場付きコンテナの譲渡を決めた。19(2007)年にも大きな地震があった能登半島で工場が稼働できなくなった際、中浦屋が製造場所として使っていたものだった。
 コンテナはすぐ運び込まれ、9月ごろから木村さんたちは菓子作りに向け試運転を開始した。店独自のレシピも流失し、不安のほうが大きかった時期。コンテナで試作を重ね〝ウオーミングアップ〟できたことで、「『大丈夫、作れる』という自信につながり、『また店をやるぞ』と決意も固まった」と木村さんは振り返る。
 それに、壊滅的な被害を受けて灰色になった景色の中、赤に近いえんじ色のコンテナは遠目にも目立った。菓子作りをしていると聞きつけたお客さんたちが顔を見せ、再建を待たれていると実感できたことも気持ちを支えてくれた。
 「あのコンテナが木村屋再スタートの原点」。その時の恩を返すため、輪島朝市のそばにあり火事で全焼した中浦屋に対し、菓子屋としてできる支援を模索する木村さんは、「中浦さんとも相談しながらだが、代わりに製造を請け負ったり、チャリティー商品の販売などを通じて長期的に応援できれば」と語る。
 また、洋平さんはすでに別の形で復興支援に乗り出している。
 実は洋平さん、同店で事務職などに就く一方、これまでに「Yohei Kimura」としてアルバム8枚、EP(ミニアルバム)4枚、シングル11枚をリリースしたギタリスト・作曲家でもある。その実力は国内外のトッププレーヤーからも注目され、共同で手がけた作品も数多い。
 昨年10月ごろからは、海外にもコアなファンを持つ19歳のギタリストLi—sa—X(リーサーエックス)さんとのコラボレーションEPを制作中だった。能登での震災を受け、洋平さんはこれをCDとして1枚3000円(税・送料込み)で販売し、諸経費を引いた2500円を中浦屋に寄付。発売元であるミュージックセキュリティーズのサイトで11日に予約を開始し、4月26日(金)から順次発送する。
 同CD『Relativity』は、それぞれロック、メタル、フュージョンを軸にした3曲入り。洋平さんは「ギターインスト(歌のないギターサウンド)はなじみのない方も多いと思うが、『こういう音楽も面白いな』と新鮮に感じていただけるのではないか」とし、作品としての出来栄えにも確かな自信をのぞかせる。
 大きな災害の後も、菓子は心を豊かにするうえで人々に求められるということを、木村さんたちは知っている。35年前にも火災で店舗が全焼した木村屋は、東日本大震災も含め〝二度の再建〟を経験した。木村さんは、「中浦屋さんたちだってもう一度、必ずやり直せる」と話し、木村屋復活を喜んでくれた中浦さんを継続的に支えていく構えだ。