■春の叙勲/地道な職務、功績に光 気仙から2人が受章

 政府は、令和6年春の叙勲受章者を29日付で発表した。全国で4108人、県内在住者は76人。気仙からは、元中学校長の伊藤聰さん(71)=大船渡市盛町=が教育功労で瑞宝双光章を、長年にわたり各種統計調査員を務めた伊藤葊子さん(75)=同市大船渡町=が統計調査功労で瑞宝単光章を受ける。


瑞宝双光章/教育功労
伊藤 聰さん
人とのつながりが大切な支えに

 

 小中学校の教員として約32年間、児童・生徒の健全育成に尽力。「(受章は)もったいないほどの栄誉。人とのつながりに支えられた」と控えめに語る。
 一家の長男として「地元で仕事を」と一関一高から福島大学教育学部に進み、昭和50年に採用。中学校では社会と体育を専門に教え、小学校でも教壇に立った。平成3年からの6年間は三陸町、陸前高田市の教育委員会で社会教育主事の職務にあたり、同9年から教頭職7年、校長職を9年歴任。25年、地元の大船渡中校長を最後に退職した。
 小学校、中学校で交互に勤務する異色の経歴。子どもたちとの距離感を大切にし、教頭、校長になってからも、昼休みには体育館で一緒に遊ぶなど、親しみやすい先生だった。
 大船渡中校長の初年度に東日本大震災が発生。体育館に開設した避難所運営を率先して手伝った生徒、東京で募金活動を行った卒業生、こうした素晴らしい心を持った子どもに育てた保護者、教員ら、「学校に迷惑はかけない」との姿勢で生活した住民らすべてに感謝を示し、「苦しい中でも、生徒たちは素直に前向きでいてくれたし、先生方が本当に頑張ってくれた。迷惑をかけすぎたことがあの時の心残り」と振り返る。
 教員退職後は、在学青少年指導員として、気仙、釜石の学校課題の解決に奔走。現在は人権擁護委員や行政連絡員も務め、子ども、地域との関わりを続ける。
 「教員という仕事が人とのつながりを広げてくれた。その一つ一つが大切。家族にも感謝する」と回顧。
「新たに重いものを背負ったような気分だが、これからもごく普通の〝おじいちゃん〟として、何か役に立てることがあれば微力ながら協力していきたい」と気持ちを新たにしている。


瑞宝単光章/統計調査功労
伊藤 廣子さん
丁寧に向き合い信頼関係を構築


 昭和60年以降、工業統計や家計、農林業センサスなど、携わった調査は100回近くに及ぶ。地道な活動が評価されての受章に「うれしさとともに、責任の重さを感じる。身に余る光栄」と話す。
 三陸町綾里出身。結婚を機に大船渡町内で暮らし、知人の市職員から勧められたのがきっかけだった。
 当時は、対面での調査が基本。昼夜を問わず、町内を中心に回り、住民らの協力を得てきた。
 訪問する約束の時間は守り、丁寧に話かけ、調査以外の分野は聞かず、秘密保持や調査文書の保管を徹底する。統一された調査ではあるが、住民によって記入方法などを柔軟に説明し、より自然な形で正確に答えやすい雰囲気づくりを大切にしてきた。
 特に家計調査は世帯の収入や支出、勤め先の給料など、デリケートな項目も求められる。訪問前には不安にかられるが「あんだが来たなら書いてけっから」と言われた時、信頼関係の大切さを実感した。調査を機に、「家計簿をつける習慣がついた」と感謝の言葉をかけられたこともある。
 近年は郵送やインターネットでの手続きが主流となった。「時代の流れでもあり、楽でやりやすいところはあるが、どこかさみしさもある。買い物と同じかもしれない。会話を交わしながらの方が楽しいから」と本音ものぞかせる。
 家族の理解と協力がなければ、調査を続けることができなかった。特に、平成24年に亡くなった義母・智恵子さんの献身的な支えを挙げる。「さまざまな協力、アドバイスをいただいた県や市の皆さんにも、感謝の気持ちでいっぱい。今後の調査は、若い方々にお任せしたいが、機会があれば私が経験してきたことを伝えられれば」と話す。