ベガルタ仙台のコーチに就任 大船渡市出身の今野章さん 東北の地で新たな挑戦へ

▲ 今季からトップチームのコーチとしてベガルタ仙台で活動する今野さん

24年在籍の川崎Fから移籍決断――

 大船渡市立根町出身の元プロサッカー選手で、現指導者の今野章さん(49)は今季から、宮城県仙台市のサッカーJ2・ベガルタ仙台のトップチームコーチとして活動している。現役時代から約24年間在籍したJ1・川崎フロンターレを離れ、東北の地での新たな挑戦を決断。「サッカーを通じた東北の活気創出と、チームの目標達成へ力を尽くす」とJ1昇格を目指すチームを支える。(菅野弘大)

 

「チーム、地域に力尽くす」

 

 今野さんは小学生の頃、地元の立根サッカー少年団でサッカーを始め、市立第一中から大船渡高へ進学。卒業後は国士舘大に進み、平成9年、気仙で初のJリーガーとしてジュビロ磐田でプロキャリアをスタートさせた。
 同12年に川崎に移籍すると、前線からプレスをかけるアグレッシブなチームスタイルに適応し、豊富な運動量と献身的なプレーで中盤の〝潤滑油〟の役割として出番を増やした。地道に練習に取り組むひたむきさから、監督の信頼も厚く、ゲームキャプテンを任されるシーズンもあった。
 18年の現役引退後は、川崎で指導者の道へ。トップチームのアシスタントコーチをはじめ、下部組織(中高生年代)の指導、育成にもあたり、U―18監督時代には現日本代表の三笘薫選手、田中碧選手、板倉滉選手らを受け持つなど、日本サッカー界を背負う選手の育成にも手腕を発揮した。
 「生涯川崎」という選択肢もあった中、仙台の庄子春男GM(ゼネラルマネジャー)から「トップチームでやってみないか」とオファーがあった。庄子GMは、今野さんが川崎に移籍した当時の強化部長で、選手、コーチ時代も含めて長年の仲。「24年間やってきた川崎を離れる想像ができず、正直かなり迷ったが、自分は今年50歳になる年で、一つの転機とも捉えた。選手として庄子さんに拾ってもらい、長年一緒に戦ってきた恩返しの思いもあって決断した」と、東北での挑戦を選んだ。
 今野さんの選手指導には、日頃の練習に真摯に取り組み、出場機会を勝ち取った現役時代の経験が根底にある。「身長も大きくなく、能力も高くない中で選手としてやってきた自分は、練習の一つ一つを大切に取り組んでいた。指導者になってからも、選手たちが練習に向き合う姿勢はアカデミーでもトップでも大事にしてきたし、育成年代の選手には特に強く求めた。サッカーがうまい、下手以前に、同じ時間やるのであればマックスでやろうよと常に言う」と語る。
 東日本大震災発生時は、川崎の選手、スタッフからスパイクやウエアなどを募り、高校の先輩を通じて被災した大船渡に届け、川崎と友好協定を締結している陸前高田市にも選手たちと足を運んだ。「何もできないもどかしさや申し訳なさもあった」というが、サッカーでも、人としても育ててくれた地元への感謝の思いを持ち続け、競技人口の減少が続く気仙の状況も気にかけながら、サッカーを通じた地域貢献にも意欲を見せる。
 「自分がここ(仙台)にいることで、スタジアムに足を運んだり、ベガルタの試合を見に来た子どもたちが『やってみようかな』と始めるきっかけになればいいし、それが地元の近くに来た自分の使命だと思っている。大きなことはできないが、サッカーでコミュニケーションを取れる機会があれば貢献したい」と見据える。
 仙台は今季、U―17日本代表を指揮するなど、若手育成に定評のある森山佳郎監督が就任。J1昇格を目標に、新たなチームづくりが進められている中、トップチームのコーチを務める今野さんは「(森山監督は)情熱を持った魅力ある方で、選手もそれに応えようと真面目に取り組んでいる。プロの世界では一日が勝負で、チームとして結果を出さないといけない中、選手と一丸となって戦う強い覚悟はできている。サポーター、まちの素晴らしい雰囲気、居心地の良さに甘えることなく、自分がやるべきことにこだわって頑張りたい」と誓う。