■能登地震被災地支援/自らの経験胸に〝恩返し〟 能登町への市職員派遣 震災後入庁の若手も積極志願

▲ 渕上市長から激励を受けた後藤主任
▲ 能登町の様子を報告する吉田主事

 東日本大震災の発生から、きょうで13年2カ月。復旧・復興事業が収束した気仙の各自治体も元日に発生した能登半島地震被災地への支援を続けている中、震災後に入庁した大船渡市の若手職員もさまざまな思いを寄せながら派遣業務にあたってきた。自らの被災経験を振り返りながら厳しい生活が続く住民を気づかうとともに、現場の教訓を古里の防災充実につなげようと気持ちを新たにしている。(佐藤 壮)

 

 「発生した時のままなのかなと感じた。道路は通れるが、まだまだの状況。建物は、罹災証明書が発行されてから解体するのか直すのかを決める方が多く、時間がかかりそうという感想を抱いた」。
 今月2日~9日に石川県能登町で活動した農林課の吉田健人主事(25)は10日、市役所での派遣報告会に臨んだ。渕上清市長らを前に、現地で撮影した写真も交え、住家被害2次調査業務の内容や、発災から4カ月が経過した町内の状況を伝えた。
 1次調査では「一部損壊」という判定でも、雪解け後の再調査で大きな亀裂が見つかった事例などを紹介。地震による被害だけでなく、長期間放置していることによる雨漏りやかびの実態も示した。
 明らかな全壊の被災建物は解体に向けた動きが進む半面、手つかずの建物が目立ったという。公費解体は半壊以上が対象となる中、罹災証明書発行を待つ住民が多い現状を明かした。
 時間の経過とともに募る住民のいら立ちや不安にも言及。「土砂崩れも目立ち、雨が多くなる時期が心配」とも話した。
 東日本大震災が発生したのは、吉田主事が小学6年生の時だった。三陸町綾里の自宅は被災。避難所や仮設住宅が設けられた大船渡中で3年間を過ごし、大船渡北小グラウンドに整備された仮設住宅から通った。
 限られた環境で、部活動に励んだ思い出がある。能登町で子どもたちの姿を目にした時には「頑張っているが、ストレスを感じているのでは」「将来は地元を担う人材になってくれれば」と思った。
 令和3年春に市職員となり、3年間は防災管理室に配属された。業務を通じ、震災以降に各地から多くの支援を受けた足跡に触れた。「自分ができることがあれば」と、大型連休中の派遣要請に応じた。
 派遣を終え「これまであるマニュアルが本当に災害時に機能するかの検証や、いろいろな自治体とコミュニケーションをとり、広い視野で取り組む大切さも学んだ」と今後を見据える。
 10日は、新たに能登町に派遣する職員の激励式も開かれた。建設課の後藤俊太主任(31)は12日(日)~19日(日)の日程で、住家被害調査などに関する業務に携わる。
 後藤主任は平成26年入庁。当時は復旧・復興関連の大型事業が増え、災害公営住宅に関する業務では、全国各地から派遣された自治体の職員らの働きを間近で見てきた中、能登町での業務を志願していた。「仕事に関する相談にも応じていただいた。ご恩返しの気持ちで、真摯に取り組みたい」と力を込める。