三面椿〝親子〟で開花を 独自色生かした活用へ 種から育てた苗木地植え 末崎・熊野神社近くに(別写真あり)
令和6年5月28日付 1面

大船渡市末崎町中森に鎮座する熊野神社(志田隆人宮司)に伸び、ヤブツバキでは国内最大・最古を誇る「大船渡の三面椿」の種から育てた苗木約50本を地植えする作業が26日、同神社近くの民有地で行われた。〝親元〟で成長した木々は、記念樹や友好関係を結ぶ自治体・団体への寄贈といった活用を見据える。作業にあたった民間団体の関係者らは、令和8年に全国椿サミット大船渡大会が控える中、三面椿など独自色を重視したまちづくりに意欲を見せている。(佐藤 壮)
この作業は、神社近くに搾油所を構える三面椿舎(山田康生代表)が中心となって実施。山田代表(61)や志田宮司(56)をはじめ、大船渡ロータリークラブ(藤澤美典会長)、伐採事業などを展開する㈱徳風(蕨野充徳代表取締役)の関係者ら約10人が参加した。
平成30年以降に種をまき、1㍍程度にまで伸びた苗木52本を用意。青空と三面椿が見守る中、神社から道路を挟んだ民有地で、丁寧に植え付けた。屋外ではシカの食害が懸念される中、忌避成分を含んだ〝短冊〟も1本ずつ施した。
苗木はこれまで町内のビニールハウスで管理し、花が咲くまでに成長。来年以降は三面椿と苗木による〝親子開花〟の光景が期待でき、参加者は順調な成育を願い、三面椿を生かしたまちづくりの充実を誓い合った。
志田宮司は「育てていただいた方、ビニールハウスや成育へ土地を提供していただいた方に感謝でいっぱい。三面椿そのものや苗木が、後世まで大切に受け継がれてくれれば」と話した。
東京を拠点とする山田代表は、東日本大震災の復旧支援活動が縁で気仙に足を運び続け、平成29年に三面椿舎を立ち上げた。熊野神社や地元事業者らと連携を図り、三面椿の保護や関連の産業化に向け活動を重ねる。
つやの良さや重さなどを見極め、三面椿から生まれた年間100粒程度の種をを苗木生産用に充ててきた。生産地が分かる〝直系〟の苗木を生かし、各種交流事業や三面椿のブランド化などを目指している。
神社境内に伸びる樹高約10㍍、株元の幹回り約8㍍の三面椿は、本殿の東西南3面にあった樹齢数百年のツバキ3本のうち、唯一残った東面のものとされる。樹齢1400年は日本最古とされ、昭和44年に県が天然記念物に指定した。
平成14年の台風被害で西側の主幹2本が根元から折れ、樹形のほぼ半分を損失。それでも、毎年11月~4月には花が咲き、市内外から訪れる多くの人々を魅了する。震災では浸水被害を免れ、幾多の津波を乗り越えてきた地域の誇りや、復興の象徴でもあり続ける。
市が「椿の里」を標ぼうする一方、長年、産業振興や地域活性化につながるツバキの魅力発信や独自性のある取り組みが課題とされる。震災やコロナ禍に伴う中止を経て、市内では令和8年3月に2度目となる全国椿サミットの開催を控える中、県内外からの関係者を迎えるだけでなく、持続可能な観光振興やまちづくりを見据えた地域資源活用が求められている。
山田代表は「つばきを生かしたまちづくりに取り組む自治体が多い中、差別化できるものが重要。子どもたちが大人になった時に、三面椿から『つばきの里』を誇るようになってほしい」と今後を見据える。