生きづらさ抱える人の場に 震災で妻とひきこもりの次男亡くす 佐々木さん「虹っ子の家」開所
令和6年7月24日付 7面

不登校やひきこもりなど生きづらさを感じる人のための居場所として、陸前高田市高田町に整備された「虹っ子の家」が完成し、23日に現地で開所式が開かれた。建てたのは13年前の東日本大震災で妻とひきこもりの次男を亡くした元小学校教諭の佐々木善仁さん(74)=広田町。妻が生前願っていた居場所の開設をやっと実現させ、佐々木さんは「生きづらさを抱える人が自宅以外で自分らしく過ごせる場になればいい」と前を向く。(高橋 信)
市役所そばにできた虹っ子の家で行われた和やかな開所式。「2、3分のあいさつのつもりが、失礼しました」と佐々木さんが笑顔で話すと、招待した同級生や親せきらから笑い声が上がった。居場所の必要性を生前唱えていた妻・みき子さん(享年57)の思い、次男・仁也さん(享年28)がひきこもりに至った経緯などを30分以上かけて説明し、出席者の温かな拍手で念願だった居場所の船出を祝った。
みき子さんと交流のあった遠野地区不登校を考える親の会「たんぽぽ会」の多田静枝さん(67)=遠野市=は「みき子さんは本当に一生懸命取り組んでいた。きっと喜んでいると思う」と、ほほ笑んだ。
木造平屋、建物の広さは約80平方㍍で、地元の鈴木建設㈱(鈴木健二郎代表取締役)が施工。ホールのほか、個室3室、調理場、風呂、車いす対応トイレを設けた。佐々木さんが施設そばに引っ越すまでは原則平日の日中のみとするが、受け入れ態勢が整えば24時間無料で使えるようにする。
利用者が過ごしやすい場とするため、佐々木さんは極力干渉せず、利用者や家族が求めれば相談などに応じる。ルールは設けず、「利用者とともにつくる居場所」を目指す。
「自分の天職」とやりがいを持って働いていた教員時代。その分、家族のことを考える心の余裕がなく、みき子さんからは「退職したら仁也と向き合ってね」と言われていた。
定年退職を月末に控えていた13年前の「あの日」、家から出ることができなかった仁也さんと、仁也さんを避難させようと説得して避難が遅れたみき子さんを津波に奪われた。
退職後、みき子さんが生前立ち上げた「気仙地区不登校ひきこもり父母会」の活動を引き継いだ。ひきこもりの人がいる家族の悩みに耳を傾ける中で、「うちもこのようなことで悩んでいたんだな」と、みき子さん、仁也さんの当時の苦しみを知った。みき子さんから聞いていた居場所の必要性を自身も感じるようになり、自宅を建てる予定だった空き地に「虹っ子の家」を整備した。
内閣府の令和4年調査によると、15~64歳のひきこもりの人数は推計146万人に上り、全体の50人に1人がひきこもり状態にあるということになる。
「震災被災地では生きたかったのに、生きられなかったたくさんの命があった。一方で、行きたくもない学校に行くことで、自分で命を絶ってしまう人がいる」と佐々木さん。「命の大切さを伝えるためにも、不登校やひきこもりの人の気持ちを受け止め、ありのまま肯定することが大事。当事者家族への支えも必要となる。そんな心のよりどころに、虹っ子の家が少しずつなればいい」と語る。