灼熱の砂漠地帯を完走 大船渡市末崎町出身の熊谷さん サハラマラソンに初出場 新たな大会に意欲燃やす
令和6年8月2日付 7面

大船渡市末崎町出身の医師・熊谷卓朗さん(42)=北上市在住=は、4月にモロッコのサハラ砂漠で行われたアドベンチャーマラソンの大会「サハラマラソン(マラソン・デ・セイブル)」に初出場した。日中の最高気温が50度を超える灼熱の環境の中、砂地や岩場、荒野を駆ける6区間、計252㌔のコースを7日間で走るステージレースに臨み、合計タイム36時間7分で完走を果たした。熊谷さんは「今回の経験を生かし、来年は新たな大会に挑みたい」と意欲を燃やしている。(三浦佳恵)
熊谷さんは消化器外科医で、7月までは県立大船渡病院に勤務。今月からは県立中部病院に勤めている。
サハラマラソンとの出合いは、おととし見たテレビ番組。令和3年の大会で女子総合2位に入賞した日本人選手を知り、「自分に足りないものはこれだ」と参加を決めた。
そこから準備を始め、国内のハーフマラソン、フルマラソン、100㌔を走るウルトラマラソンの大会で完走。サハラマラソンへの挑戦に手応えを得た。
一方で、周囲にサハラマラソンの経験者はなく、準備やトレーニングは手探りの状態。主催者から水と宿泊場所のテントが提供されるが、そのほかに携行する食料や衣類、寝袋などは自身で調べながらそろえた。
トレーニングは、夜の最低5度から日中は最高55度に及ぶ現地の気温差、足を取られやすい砂地での走行、コースの高低差などを考慮して工夫。昨年夏の猛暑の中で高田松原の砂浜を走ったり、10㌔の荷物を背負っての五葉山登山などで体を慣らしていった。
準備を重ね、今年のサハラマラソンにエントリー。レースには、世界60カ国から日本人16人を含む842人が出場し、4月14日にスタートした。
大会は、スタートからゴールまで昼夜を問わず走るノンストップレースではなく、六つのステージごとに設けた10~85㌔のコースを制限時間内に走行するステージレース。各ステージの合計タイムで総合順位を競った。
砂丘や荒野、時には岩山にも足を踏み入れるコースとなり、選手たちは200㍍ごとに設置されたマーカーを頼りに、チェックポイントや水の供給場所に立ち寄りながら進んだ。踏ん張りがきかないほどに足が沈み込む砂丘での走りに苦戦し、太陽の照り返しで増していく暑さは容赦なく体力を奪っていった。
「日本人の1位でゴール」などの目標を掲げて挑んだ熊谷さんは、第2ステージを終えた時点で全体の22位につけた。ところが、2日間で85㌔を走る第3ステージの残り5㌔付近で熱中症になり、気を失った。目覚めると満天の星空が広がっていたといい、力を振り絞って何とかゴールした。
体調が戻らないまま臨んだ第4ステージは124位まで順位を落としたが、第5ステージ以降は調子を取り戻し、総合113位でレースを終えた。日本人の中では、目標まであと一歩の2位だった。
「最終ゴールをしたときには、自然に涙が出てきた。第3ステージでリタイアをせずにこらえられたのがうれしかったし、完走できたことに感動していた」と当時を振り返る。国内外のランナーと苦楽を分かち合えた経験も人生の宝になり、快く大会に送り出してくれた大船渡病院の職員らにも感謝する。
「アドベンチャーマラソンは、生活のための刺激、目標」と語る熊谷さん。「年に1回はアドベンチャーマラソンの世界に飛び込みたい」と話し、来年、モンゴルのゴビ砂漠で行われるレースに参加する予定だ。