夏の風物詩 活気呼ぶ ──陸前高田で二大七夕(動画、別写真あり)

▲ 「七夕ロード」を周回する彩り豊かな各祭組の山車

 陸前高田市高田町の「うごく七夕」と気仙町今泉地区の「けんか七夕」は、7日に開かれた。地域が誇る同市の夏の風物詩で、東日本大震災後も新型コロナウイルス禍の期間を除いて開催されてきた。地元住民や帰省者に加え、スーパーマーケット大手㈱カスミ(本社・茨城県つくば市)の新入社員らボランティアも参加し、多くの人々が年に一度の七夕を楽しんだ。(阿部仁志、高橋 信)

 

9祭組の山車、一堂に 高田町・うごく七夕

 

 今年のうごく七夕は、大石、鳴石、駅前、大町、荒町、中央、長砂、和野、川原の9祭組が、昼と夜に山車を運行。高田町の中心市街地や各地区を練り歩いたほか、新たな試みとして、アバッセたかたやまちなか広場の前を通る「七夕ロード」にすべての山車が集まり、周回する時間が設けられた。
 このうち昼の七夕ロードは、各祭組の個性が光る豪華絢爛な山車を見ようと、大勢の見物客でにぎわった。周回が始まると、景気の良い太鼓や笛の音、引き手らによる「よーいよい」のかけ声が会場一帯に響き合った。
 山車の上では、先祖の霊が帰る際の目印と伝えられる、赤い短冊のついた竹飾りの「ナンバン」を天高く掲揚。山車がすれ違う際は、ナンバンを勢いよくぶつけ合う光景も繰り広げられた。
 夜の部は、各山車が装いを変えて運行。光を放つ看板やぼんぼりなどが夕闇に映え、幻想的な雰囲気が広がった。
 東日本大震災前は祭組が12あり、山車は旧JR陸前高田駅前の「駅通り」に集まるのが恒例だった。
 現在10祭組の関係者らでつくるうごく七夕実行委員会の石川宏会長(72)は「震災前の活気に比べればまだまだだが、山車が集まったときの雰囲気はにぎやかで、この方法でやって良かった」と話した。
 江戸時代からの歴史があるとされるうごく七夕。年々引き手不足が顕著となる中、各祭組では、被災地支援をきっかけにつながった県内外のボランティアの力を借りたり、規模を縮小して山車を運行するなど、伝統のともしびをつないでいる。
 震災後、昨年まで小型の山車を運行してきた駅前祭組は今年、大きな山車を新調。中で太鼓をたたいた村上洸二朗さん(高田小5年)は「新しい山車は全部いい。いっぱい太鼓をたたく」と話していた。