長谷寺の「絵馬群」 県文化材指定へ 保護審が答申 全16枚、色彩と板絵の重要性評価

▲ 全16枚のうちの一つである猪川観音祭礼参詣図絵馬㊨と観音来迎図絵馬=県立博物館提供

 県文化財保護審議会は6日、大船渡市の「猪川観音長谷寺絵馬群」を県有形文化財(絵画)に指定するよう県教委に答申した。答申通り告示され、指定となる見通し。猪川町の龍福山・長谷寺(兼務住職・宮城隆照長圓寺住職)に伝わる全16面の絵馬群は、豊かな色彩に加え、表面が整えられた板材を用いるなど絵画として重要性が認められた。(佐藤 壮)

 

 今回答申したのは、長谷寺絵馬群に加え、有形民俗文化財で二戸金田一・浄法寺の子安信仰資料と助産用具(二戸市)の計2件。いずれも指定となる見通しで、県全体の指定文化財は409件となる。今後、教育委員会定例会で議決後、12月上旬に所有者らに対して指定書が送付される。
 長谷寺の収蔵庫にある絵馬群は全16面で、このうち10面は、江戸時代中期に当たる明和7(1770)年~明治6(1873)年の奉納時期が記されている。残り6面も近世後半~近代に制作された。
 絵馬は祈願する際に奉納するが、もともとは神事で生馬を献上する習わしからの代用とされる。江戸期まで続いた神仏習合により、神社に限らず寺社にも絵馬を納める風習が定着している。
 長谷寺にある絵柄は、皇子を身ごもりながら兵を率いたとの伝説から安産成就で信仰される神宮皇后をはじめ、観月、歌仙図など、定型的な主題ながらも多岐にわたる。地域内外からの奉納の際、祈願の内容、感謝の表現、世相などが反映されたことも考えられる。
 描いた1人は、気仙郡田茂山村(現・大船渡市盛町)生まれの画人で、主として山水花鳥画を得意とした寺沢綾湖。他の絵馬も、描画技法を習得した人物が担った。近世から近代にかけて制作された県内の絵画資料と比較しても優れた出来栄えで、特に板絵として高い重要性が認められた。
 板に直接絵柄を描くだけでなく、白色顔料である胡粉などの下地を施すなどして発色が鮮やかに仕上げられている。一部には金箔を細かい粉状にした金砂子も用いている。
 さらに、表面がよく整えられた板材を「やといほぞ」と呼ばれる技法でつないでいる。絵馬それぞれが入念に制作されたこともうかがえる。
 同寺には、大同2(807)年、蝦夷討伐をした征夷大将軍・坂上田村麻呂が気仙郡佐狩郷赤崎小田の首長・金丈丸(赤頭、赤鬼)を滅ぼし、その首を埋めた墓の上に御堂を建て、十一面観世音をまつったとするいわれがある。創建以来、火災や裏山崩落といった災害に見舞われたが、住民らが協力して寺宝を守り続けてきた。
 すでに「木造如来座像」と「十一面観音菩薩立像」の2件が、県指定文化財となっており、また一つ、新たに指定が加わる。市内の県文化財指定は、昨年の「盛町五年祭」に続き12件目となる。
 長谷寺では、毎月住民らが祈祷に訪れて地域の安寧や家内安全を願うほか、3カ月ごとに「護摩祈祷」も行っている。近年は、寺の象徴である絵馬の模写に取り組み、新たな奉納にも期待を込める。
 鈴木敏彦総代長は「長谷寺は毎年、夏になれば灯ろうが囲む中で住民交流の催事を行うなど、地域の中心であり、猪川の方々に支えられてきた。貴重な文化財を、後世に残していきたい」と話す。