つたえ はぐくみ まもる 高田松原津波復興祈念公園 ~多様な役割と今後のあり方~①
令和6年9月22日付 1面

一部供用開始からきょう丸5年
震災伝承や学習、観光の玄関口に
平成23年の東日本大震災津波で甚大な被害を受けた陸前高田市に整備された「高田松原津波復興祈念公園」。国営追悼・祈念施設の一部や東日本大震災津波伝承館、道の駅「高田松原」などが供用を開始して、22日で丸5年となる。県内唯一の復興祈念公園として現在も国内外から多くの人々が訪れ、震災犠牲者らに祈りをささげ、当時の記憶や復興の歩みを知る場となっている中、震災の風化防止、自然災害に対する備えの発信、観光を通じた地域活性化など、多様な役割も求められている。丸5年の節目を機に、「伝承」「にぎわい創出」「維持・管理」の観点から、公園のあり方を探っていきたい。(三浦佳恵、高橋信)
同公園は、震災の犠牲者を追悼・鎮魂し、その事実や教訓を継承するとともに、まちづくりと一体になった地域のにぎわい再生につなげようと、震災津波で被災した高田松原地区において、国、県、市が整備した。
面積約130㌶という広大な敷地内には、国営追悼・祈念施設、震災津波伝承館、道の駅、「奇跡の一本松」など五つの震災遺構、野球場やサッカー場などからなる運動公園を配置。平成26年度に公園の基本構想が策定され、29年3月に着工した。
それから約2年半後の令和元年9月22日に供用を開始したのが、公園エリアの国営追悼・祈念施設にある「献花の場」や「海を望む場」、一本松の見学ルート、震災津波伝承館、道の駅。震災で被災した岩手、宮城、福島の各県に1カ所ずつ整備される復興祈念公園で最も供用開始が早く、国内外から多くの注目を集めた。
しかし、一部供用開始から約3カ月後、新型コロナウイルス感染症が全世界で流行。政府、県による緊急事態宣言が発令され、公園や各施設は臨時休業を余儀なくされた。それでも、人々の関心は絶えることなく、震災発生から10年9カ月を経た3年12月26日には公園の全面供用がスタートした。
昨年5月には、新型ウイルスが感染症法上の5類に移行され、規制緩和によって再び国内外から人々が訪れるようになった。
同6月には、天皇・皇后両陛下ご臨席のもと、「第73回全国植樹祭いわて2023」が同公園を会場に開かれた。県内外から約2200人が出席し、震災津波からの復興の姿を広く国内外に発信する機会となった。
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公園には、これまで数多くの人々が足を運び、13年半前の「あの日」を改めて知り、犠牲者らを悼み、まちの復興の姿を目に焼き付けている。
佐々木拓市長は、公園の供用から丸5年を迎えたことを受け、「震災犠牲者への鎮魂と追悼、教訓の伝承、にぎわい創出の場などとして全国、海外から多くの人に来ていただいている。そうした方々からの追悼の気持ち、励ましの思いは、市民が復興に向かって進むうえで大きな力、支えとなった。これからも園内の施設や奇跡の一本松を大切にし、市が将来にわたって、皆さんから心を寄せていただけるまちとなるよう努めていく」と誓いを新たにする。
伝承館の館長でもある達増拓也知事は6日の定例会見で、「多くの犠牲や被害、避難から復旧・復興までをできるだけ直接体験をするのに近いような形で伝えていくように工夫して伝承館を造り、運営してきている。当初の狙い通りの形でスタートはできている」と手応えを語り、「最初の志を忘れずに、利用者の声を参考にしながらより良い展示を工夫し、震災津波と、防災や復興を伝承、発信していきたい」と力を込めた。
供用開始から5年で、公園は岩手を代表する観光地として定着した。震災伝承や学習、三陸観光の〝ゲートウェイ(玄関口)〟と位置付けられ、市内観光を支える大きな柱でもある。
こうした中、整備から時が進むにつれて、震災の風化や当時を知らない世代への伝承、観光振興、にぎわいの創出、広大な園内の維持・管理、市民との連携など、対応が求められる課題も増えてきた。県内唯一の復興祈念公園を後世に伝え、育み、守っていくために、行政だけではなく、関係団体、市民らが手を取り合い、さまざまな取り組みを強めていくことが求められる。