亡き娘思い、羅漢像安置 三重県津市の山際さん夫妻 漂流ポストがある慈恩寺に(別写真あり)
令和6年12月6日付 7面

平成23年の東日本大震災後、陸前高田市広田町の「漂流ポスト」に病気で亡くなった娘・江里奈さん(当時22)宛ての手紙を送り続けてきた三重県津市の山際優子さん(61)は4日、夫の真人さん(61)とともに、同町の慈恩寺(古山昭覚住職)境内に羅漢像を建てた。優子さんは、周囲の支えもあって深い悲しみから少しずつ立ち直れた約13年を振り返り、「ここからまたスタートを」と前を向いた。(阿部仁志)
羅漢像は高さ約50㌢。海を望める、同寺にある祈念碑「やすらぎ」付近の一角に建てられた。白御影石製で、顔はにっこりと優しい表情を浮かべる。少し離れた場所には、大震災等で大切な人を失った人たちからの手紙を預かるための私書箱「漂流ポスト」が置かれている。
この日は、同寺前住職の古山敬光先住職が羅漢像の開眼供養を挙行。山際さん夫妻と、漂流ポストを縁に夫妻と手紙のやりとりをするようになった高野慶子さん(61)=宮城県南三陸町、同ポストの元管理人の赤川勇治さん(75)=奥州市水沢=らが出席し、焼香ののち静かに手を合わせた。
13年前、江里奈さんは三重県鈴鹿市に住み、9月の誕生日を迎えてすぐに心不全で急逝。はじめは気丈にふるまっていた優子さんだったが、半年を過ぎた頃から深い悲しみに耐えきれなくなり、笑顔を失っていったという。
その頃、東北の支援活動に携わっていた真人さんは、ふさぎ込みがちな妻が前を向くきっかけになればと、一緒に三陸沿岸を訪問する機会をつくった。数年がたったある日、漂流ポストの存在を知って陸前高田市に足を運んだ優子さんは、赤川さんとの出会いをきっかけに娘に宛てた手紙を送るようになった。
「江里奈へ(中略)貴女と手紙でやりとりできてる気がします。〝時間薬〟それぞれ効き方はちがうけど、お母さんは効いてきたかな」「会いたいなぁ…。10月初めにそっちに行くけど何かありますか?」──約7年間、数え切れないほどの手紙を出し続けた優子さんは、思いを手紙に託すことで、少しずつ心のゆとりを取り戻していった。
今年5月、漂流ポストが移設された同寺を真人さんと訪れた際、境内に檀家が建てた羅漢像が数体安置されているのを見かけ、印象に残った。その後、真人さんと相談したうえ、「江里奈が寂しくないように」と像の安置を同寺に依頼し、檀家以外の羅漢像を建てるのは初めてだったが、古山先住職から快諾を得た。
像が置かれた台座部分のプレートには、「The return to i nnocence」(無垢に戻る)という英文や、「江里奈、またいつかどこかでめぐり逢いましょう」というメッセージ、きょうだいを含む家族の名前が彫られた。優子さんは「ゼロに戻って、もう一回考えればいい。そこからスタートすればいいと考えた方が、前を向いて生きていくのにはいい」と、メッセージにこめた思いを語る。
羅漢像安置は、昨年から赤川さんを通じて手紙のやりとりをしていた優子さんと高野さんが、初めて顔を合わせるきっかけにもなった。震災で亡くなった高野さんの息子と江里奈さんは近い年だったといい、漂流ポストに手紙を送る母親同士、羅漢像の前で会話をする2人の表情は穏やかだった。
赤川さんはその光景を見て、漂流ポストの取り組みを始めた時からの願いがかなったという。「手紙を送った人たちがお互いに会いたいと求め、つながることが、漂流ポストの本当の終着点だと思っている」と喜びを表した。
真人さんは「妻は、周りの人に気を使われ話せなくなることも、手紙では書けたと思う」とし、赤川さんや同寺、高野さんの存在に感謝。優子さんは「きょうは、みなさんに来ていただいて本当にうれしい。見えていないけれど、きっと江里奈にも伝わっている」と、笑顔を広げていた。