〝一人ではなかった〟 熊谷さんに文化庁長官表彰 市立博物館の復興に尽力 多くの献身に支えられ(別写真あり)
令和6年12月21日付 6面

文化活動において優れた功績があった人へ贈られる令和6年度の「文化庁長官表彰」に、陸前高田市立博物館の副主幹兼主任学芸員の熊谷賢さん(58)が選ばれた。東日本大震災で被災した資料の修復と博物館の復興に寄与してきた功績が認められての受賞。17日に京都府の文化庁で行われた表彰式に臨んだ熊谷さんは、「文化財レスキューと博物館再生に関わってくださったすべての方々を代表してお受けした」と表彰を謙虚に受け止め、「震災直後は『一人ぼっちになってしまった』と思っていたが、たくさんの人々が次々と手を差し伸べ、ふるさとの宝物を一緒に守ってくれた」と、これまでの歩みを振り返りながら、多くの献身に対する感謝を示した。(鈴木英里)
熊谷さんは20日、本紙の取材後に同市矢作町の市立博物館生出収蔵施設(旧生出小学校)を訪れ、平成23年の大津波で被災した資料の修復(安定化処理)にあたるスタッフに受賞を報告。大きな拍手で出迎えられた熊谷さんは、「こうして毎日手を動かし、地道に作業を続けてくださっている皆さん、そして震災直後の被災資料の救出や、修復にご尽力いただいた全国の方々、流出した資料を見つけてくださった方々。『陸前高田の宝物』をつないでくれたすべての人と一緒に受けた表彰です」と深く頭を下げた。
大津波で全壊した同館の職員として、唯一生存した学芸員。陸前高田に生まれ育った熊谷さんは、県立高田高校で考古学同好会に所属し、10代のころから博物館に出入りしていた。震災で犠牲となった同館学芸員・佐藤正彦さん(当時55)は、学生時代から多くのことを教わるとともに、平成7年に熊谷さんが同館へ勤務するようになってからも頼りにしてきた先輩職員だった。
そんな同僚たちもみんな犠牲となり、およそ46万点の資料が津波をかぶった。世界にも類を見ない津波被災資料のレスキューと修復——考えるべきこと、決断せねばならないことは山積みで、そのすべての荷が一人生き残った熊谷さんの肩にかかっていた。
昭和34年に東北第1号の公立登録博物館として同館の開設に尽力した地元出身の博物学者・千葉蘭児さん。同市における文化財の価値を高めようとまい進していた佐藤さん。尊敬する人たちの思いに直接触れてきただけに、熊谷さんは「あの人たちが守り伝えてきたものを、俺が途絶えさせてはならない」という重責を感じていた。
そんな熊谷さんを助け、支えてきたのは、まず近隣自治体の、そして日本全国の博物館関係者だった。「『陸前高田を助けたい、新しい博物館にはこれを展示するんだ』と気持ちを一つにして資料の救出・修復にあたってくれた」と、施設にして約70カ所、延べ何百人もの仲間たちに思いをはせる。
市民の力も大きかった。「全部流されたべ?これ寄贈すっがら」と化石を届けてくれる人、流失した釣り針を「これ、博物館さあったやつでねえが?」と持ってきてくれた人——「津波で途切れてしまったと思っていた、地域の人たちとのつながり。ずっと保たれていた」。涙が出る思いだった。
「そうやって表に出ない人たちの分までお受けした表彰。自分一人で何もかもやったような顔などできない。これは皆さんの栄誉です」と身を引き締め直す熊谷さんは、「被災資料はまだ約7万点が未処理。最後の1点まであきらめない」と思いを新たにし、次世代へふるさとの宝を手渡していくことを誓う。
文化庁長官表彰は、日本文化の振興に貢献した人々や、海外への発信、国際交流に寄与するなど、文化活動に優れた成果を示した人々の功績をたたえるもので、本年度の受賞は84件。本県から選ばれたのは、熊谷さんと、日本文化財漆協会常任理事の冨士原文隆さん(八幡平市)、岩手大学副学長の松岡洋子さん(盛岡市)の3人。令和元年には、大船渡市盛町の医師で「ケセン語」の研究・発信に取り組む山浦玄嗣さんが同表彰を受けている。