笑顔満開「二十歳のつどい」 気仙両市(別写真あり)

▲ 仲間との再会を喜ぶ出席者たち=陸前高田市
▲ 笑顔を交わしながら節目を喜び合う出席者たち=大船渡市

 気仙両市で12日、令和7年「二十歳のつどい」が開かれた。東日本大震災の発災直後に小学1年生となった世代の若者たちは、震災の影響やコロナ禍を乗り越えて集まることができた喜び、家族や恩師への感謝を胸に出席。各会場には父母らも多く詰めかけ、笑顔で節目を喜び合う姿に目を細めていた。(佐藤 壮、清水辰彦、7面に関連記事)

 

感謝と協力忘れず
237人出席 〝最後〟の卒業生も
大船渡


 大船渡市の「二十歳のつどい」は、盛町のリアスホールで開かれ、対象315人のうち237人が出席した。
 冒頭、20歳を迎える前に亡くなった同級生や、東日本大震災犠牲者らに黙とう。渕上清市長は「情熱と希望を持って努力をやめず、失敗を恐れず果敢に挑戦を」と式辞を述べ、伊藤力也市議会議長が祝辞でエールを送った。
 記念品贈呈などに続き、実行委員長の川上智也さん(20)=綾里中出身、太平洋セメント大船渡工場勤務=と、委員の小笠原龍人さん(20)=大船渡一中出身、ミズボエンジニアリング大船渡支店勤務=が「二十歳の誓い」を発表。
 川上さんは「小学校入学直前に震災があり、入学式が遅れたり楽しさを感じられない時期もあったが、多くの人に助けられ、支え合って乗り越えてきた。感謝を忘れず生きていきたい」、小笠原さんは「たび重なる災害や感染症の流行の中で身についた互いに協力する力は、かけがえのない財産。目標に向かって一歩ずつ成長したい」と述べた。
 本年度も大ホールは、出身中学校別に座席が設けられ、式典前には各中学時代の学校生活などを振り返るスライドショーも上映。令和2年春に第一中学校への統合に伴い閉校した日頃市、越喜来、吉浜の各中学校の卒業生としては、今回が最後の対象者となる。
 出席した新沼孟大さん(20)=日頃市中出身、県立産業技術短期大学校2年=は「中学校は小規模校だったが、みんな仲が良く、楽しかった。久々に同級生と会えてうれしかった。今後は責任ある行動をとっていきたい。古里にも貢献できれば」と話していた。


126人決意新たに
ふるさとへの貢献誓う
陸前高田

 

 陸前高田市の「二十歳のつどい」は、高田町の奇跡の一本松ホールで開かれ、対象160人のうち126人が出席した。
 東日本大震災犠牲者への黙とうに続き、佐々木拓市長が式辞、及川修一市議会議長が祝辞を述べ、市教委からの記念品贈呈も行われた。
 「二十歳の誓い」では、岡渕創太さん(20)=高田東中出身、東北学院大学2年=と、佐藤令菜さん(20)=同、山形大学2年=が、それぞれ決意を発表。
 大学で経済について学んでいる岡渕さんは、「将来は大学で得た知識、技術を生かし、陸前高田市に戻って地域のさらなる発展に貢献したい」と力を込めた。
 佐藤さんは地域教育文化学部で学んでおり、「震災で得た地域とのつながりの大切さという経験を、同年代や次の世代に伝え、地域と若者をつなぐ方法を学びたいと考えている。いつか陸前高田市に戻り、この学びを生かして貢献していきたい」と思いを語った。
 式典後の記念行事では、出席者へのインタビュー、恩師からのビデオレター上映、クラスごとの記念撮影などが行われた。
 二十歳のつどい実行委員長を務めた岡田悠太さん(20)=高田第一中出身=は、「今後、社会の一員としてふるさとに貢献したい」と思いを持つ。
 震災では、自宅が大規模半壊する被害を受けた。「震災があって思うように学校生活を送れなかったが、まちもここまで復興した」と感慨深げな表情を見せる。現在は岩手大学の教育学部に通っており、「将来の夢は教員。陸前高田に来て、子どもたちに多くのことを与えてあげたい」と話していた。