■大震災14年 「伝える」を問い直す/〝よそ者〟だからできること 「光」で刻む思いと祈り 復興祈念公園管理事務所の尾澤さん 松原防潮堤でライトアップ企画
令和7年3月8日付 3面

平成23年3月11日に発生した東日本大震災から、まもなく丸14年となる。起きた出来事との距離が遠くなり、今後は一層「東日本大震災を経験した人・知っている人」に伝えることよりも、「見たことも聞いたこともない人」に伝える場面が増えていくだろう。震災伝承のあり方も発災当初とは変わってきており、また状況の変化に応じてブラッシュアップされる必要もある。本企画では、震災経験者だけではなく「経験した人以外が伝える」「『防災』をうたわず伝える」「他の地域・取り組みに学ぶ」──など、さまざまな観点から「伝える」の手法を見つめ直したい。(鈴木英里)

昨年行われた「光ノ碑」。今年も同様にスイセンをかたどる
昨年3月1日から11日まで、陸前高田市の県立高田松原津波復興祈念公園管理事務所は、高田松原防潮堤(古川沼向かい)でライトアップイベント「光ノ碑」を初開催した。今年は同公園の国営・追悼祈念施設内へと場所を〝水平移動〟し、8日(土)~11日(火)の4日間、防潮堤にスイセンかたどったイルミネーションを点灯する。
同管理事務所の所長・尾澤彰さん(46)=長野県安曇野市出身=はこれまで、香川、東京、長野、茨城の国営公園に勤務。災害被災地で働くのは、陸前高田が初めての経験だ。
赴任して感じたのは、市民と同園との「距離」。「物理的にも心理的にも、遠い場所になってしまっている。せっかく世界に示せるほど素晴らしい鎮魂・追悼の場があるのに、3月11日に式典等も行われていない。なぜだろう」という残念な気持ちだった。
ずっと公園管理に従事してきた尾澤さんには「公園は人に使われなければ意味がない」という持論がある。「追悼の場も設けつつ、祈念公園と市民をつなぐ役割を果たせないか」――そう考えた尾澤さんが企画したのが、昨年の「光ノ碑」だった。
沿岸部に数多く存在する津波伝承碑のように、光で〝伝える〟碑をつくりたいという思いから生まれたネーミング。花をかたどったのは、そこに刻む思いを言葉として限定しないためだ。雪どけののちに咲くスイセンの花言葉は「希望」。だがそこに、祈り、願い、記憶、慰霊、復興──いろんな思いを包括的に込められると考えた。市民が同園内の国道45号にスイセンを植える活動をしていることも理由となった。
一方、昨年は実施にこそ踏み切ったものの、「自分のようなよそ者、震災を経験していない人間が、こんなことをやっていいのか」と思いは揺れた。「浸水区域でもあり、『ぜひ見に来てください』とも言いづらい。今でも海のそばへは近づけない市民もいる」。そのため苦肉の策として、かさ上げの市街地からも光が見えるようにした。
今回は、より地域住民の心情に添った形で実施したいと、昨年夏に岩手大や立教大の協力を得て市民アンケートを取った。ヒアリングに当たった学生たちも、尾澤さんと同様「震災をよく知らないのにかかわっていいのか」という疑問に突き当たったという。
しかし、人々の反応は「外の人も来られるようなものがいいな」「住民参加型の内容に」「ぜひ見に行きたい」と好意的で、むしろ「震災と無関係の地域・世代の人たちがかかわることに価値があると受け止めてもらっていることが分かった」と尾澤さんは振り返る。
「震災の風化は進んでいく。悲しみ続けるのはつらいけれど、忘れてもいけない。伝え続けていくにはアクションが必要。けれどまだまだ皆さん『余裕がない、自分たちでは動けない』という状況がある中、私たちのような外から来た人間のほうが行動しやすいということはあるのかもしれない」と、少し自信が持てた。
今年は市内にある既存の2団体に協働を提案したところ賛同が得られ、3団体が同時期にイルミネーション行事を連携実施することになった。「追悼、鎮魂、まちの未来、にぎわいを考える──主催する側の思いや趣旨は重なる部分もあれば異なる部分もある。だからこそ来場者もそれぞれの思いをもって集まれる」と尾澤さん。各団体が大事にしていることを尊重して協力し合い、この地域に起きたことを知ってもらう取り組みを〝面〟で押し出していく考えだ。
来月異動が決まり、尾澤さんは今月いっぱいで陸前高田を離れる。「震災伝承を考えるきっかけの一つとして『光ノ碑』を定着させるところまでいたかったが、まずは公園で追悼行事を始められただけでも、ここへ来た意味があった。次の管理者、その次の管理者も、いろんな人を巻き込みながら引き継いでくれると思う。外から来る私たちにも、伝承の役に立てるということを示したい」と尾澤さんは言い、またこの先どこへ行っても「ここで起きたことを伝え続ける」と請け負った。