「あの日」語り継いでいく 震災14年 各地で追悼の祈り(別写真あり)
令和7年3月12日付 7面

海望む園庭で防災誓う 大船渡保育園 発災時刻に園歌響かせる
大船渡市大船渡町の大船渡保育園(富澤康磨園長、園児117人)の園児たちは、東日本大震災発災の午後2時46分に園歌『さかみちをのぼって』を歌った。震災の教えが刻まれた園歌を響かせ、震災で犠牲となった人々が安らかに眠れるようにと祈りをささげるとともに、防災の誓いを新たにした。
同園は震災当時、浸水は免れたが間近にまで大津波が押し寄せた。園児たちは住民とともに、高台にある大船渡北小学校に避難。家族の迎えを待ちながら、多くの園児が不安な一夜を過ごした。
園歌は、東日本大震災発災の翌年の平成24年につくられた。
昭和25年に開設して以来、園歌がなかった同園。平成23年秋に被災地を訪問した作曲家の千住明さんが、作曲を快諾。千住さんの友人で、ポップスから合唱組曲まで幅広いジャンルを手がける覚和歌子さんが作詞を手がけ、24年5月に初めて披露された。
歌詞は園児たちが親しみやすいようにと、柔らかい表現でつづられながらも「津波が来たら高いところに逃げる」といった確かなメッセージを伝えている。震災の教えを100年後にも語り継いでいきたいという、千住さん、覚さんの願いも込められた。
同日の午前中、園児たちは震災当時を記録した映像や写真など、各種資料に目を通し、津波のおそろしさ、各地からの支援の数々について学んだ。
発災の時刻が近づくと園児たちは園庭へと移動。海と向かい合うようにして並び、防災無線が時刻を知らせると、静かに目を閉じ手を合わせた。
続いて、園歌を斉唱。歌に込められたメッセージをかみしめるように一語一語を丁寧に歌い上げ、透き通るような声を響かせた。
主任保育士の富澤郁子さんは「あの日何が起こったのか、今は理解が及ばなくても、成長とともに気づき学んでほしい。そのためにも、子どもたちが震災について考える機会はつくり続けていきたい」と話していた。
〝二つの震災〟から学ぶ 高田東中で3・11集会 俳優の堀内正美さん迎え

堀内さん㊧の講話を受け、全校生徒で感謝の合唱を行った
陸前高田市立高田東中学校(千葉賢一校長、生徒166人)では、「3・11集会」が開かれた。兵庫県神戸市在住の俳優で、東日本大震災直後から陸前高田市などへの支援と交流を展開してきた堀内正美さんを講師に招き、阪神・淡路大震災発生当時の出来事や両市のつながりについて学ぶとととに、「どんな時も生き抜いて」という堀内さんのメッセージを心に刻んだ。
東京都出身の堀内さんは昭和59年に神戸市へ移住し、平成7年1月17日の阪神・淡路大震災に直面。すぐに市民ボランティア・ネットワーク「がんばろう!!神戸」を立ち上げ、同市の東遊園地にある慰霊と復興のモニュメント「1・17希望の灯り」誕生に携わった。また、東北への支援をきっかけに23年、陸前高田市小友町の気仙大工左官伝承館への「3・11希望の灯り」設置を後押しした経緯がある。
堀内さんは、神戸における震災当時の状況、以前代表を務めていたNPO法人「阪神淡路大震災1・17希望の灯り」が展開した支援活動、「希望の灯り」を介して強く結びついた陸前高田への思いなどを語った。
これを受け、前生徒会長の菊池郷平さん(3年)が「陸前高田の復興は堀内さんたちのように支援してくださった方々のおかげ。自分たちもその〝たすき〟をつないでいく。震災当時は幼かった私たちも、この震災を伝えていくために一歩踏み出した。『守られる人』から『守る人』へ、そして誰かにとっての『希望の灯り』となりたい」と謝辞を述べたあと、全校による『群青』の合唱で堀内さんへの感謝を示した。
堀内さんは感涙で言葉を詰まらせながら、「14年前、生きたくても生きられなかった人たちがたくさんいる。みんなはその分まで自分の命だけは大切にしてほしい」と呼びかけた。
同校は2月下旬、「3・11希望の灯り」から種火を取ってキャンドルリレーを行う予定だったが、大船渡市での火災発生を受けて点灯は断念。生徒会副会長の安倍凜愛さん(2年)は「『希望の灯り』設置に携わった人に直接話を聞けたことで、改めて来年はいろんな思いが積み重なった火をともし、自分たちで震災のことを伝えていきたいと思った」と話していた。
伝えよう 災害と防災 被災住民が身を寄せる中 希望の花集会開く 越喜来小

住民が校内に避難を続ける中開かれた、越喜来小の希望の花集会
大船渡市立越喜来小学校(鹿糠康校長、児童69人)では、東日本大震災を振り返る「希望の花集会」が開かれた。先月26日に発生した林野火災で被災した住民がこの日も同校に身を寄せる中、児童らは災害の危険性と防災の大切さを語り継ぐ思いを強めていた。
例年、全校児童が参加しているが、林野火災で住家に被害が及んだ住民が体育館に避難していることから、本年度は規模を縮小。4、6年生がオンラインで発表を行い、他学年は各教室で視聴する形式に替えた。
はじめに鹿糠校長が林野火災に触れ「人の力、人のつながりがとても大切だと感じ、それらの意味も合わせて考える時間にしたい。震災を語り継ぐという役割と、支援への感謝の気持ちを忘れないで」とあいさつした。
続いて4年生が、地震や津波のメカニズムに加え、東日本大震災や過去の地震と津波で同市が受けた被害を説明した。越喜来に残る石碑や津波の水位看板などによる災害伝承、防災グッズや家具の転倒防止といった日頃からの備えについても紹介。佐々木天さん(4年)は「過去の津波や地震を調べることで、昔の人たちの防災に対する思いや歴史を感じた」とまとめた。
次に6年生が、東日本大震災後の越喜来の復興とまちづくりに関わった人や、地域おこし協力隊員などへのインタビューの内容を報告。震災を経験し、まちの発展に携わる住民の思いをつないでいく決意を見せていた。
伊藤澪さん(6年)は「津波でいろいろものがなくなり大変な中でも、みんなでまちを作っていったことが分かった」と、日下雄介さん(同)は「僕たちは震災後に生まれたけど、いろいろな人の話を聞いて震災はとても恐ろしいと知った。また起きた時のために、家族でどのようにするか決めておきたい」と、それぞれ話した。
きょうまでライトアップ 陸前高田の浄土寺 震災津波到達地点のサクラ

ライトアップが始まった浄土寺のサクラ(10日午後6時12分)
陸前高田市高田町の浄土寺境内で10日夜、東日本大震災の津波到達地点を伝承するサクラのライトアップが始まった。つぼみが膨らみ始めている木々が闇夜に輝き、美しい光の風景で震災の教訓を伝えている。12日(水)まで。
サクラは、同市の認定NPO法人桜ライン311(岡本翔馬代表理事)が、大震災が発災した平成23年に植えたもの。カワヅザクラ3本とタマナワザクラ1本の計4本あり、「暗くてサクラが見えなくなる時間帯にも津波到達地点が見えるように」と、3月11日の前後期間と満開時期、毎月11日にライトアップしている。
「津波が来たらサクラよりも上に逃げて」というメッセージを次世代へと伝え続ける取り組み。桜ラインによると、サクラは一部でつぼみが膨らみ紅色に色づいているといい、「開花はまだ少し先だが、光を当てるとまるで花が咲いているようにも見える。ぜひ見に来てもらいたい」と呼びかけている。
点灯時間は午後6時から同9時まで。