祈り 海へ空へ 東日本大震災発生14年 各地で津波犠牲者悼む 大船渡の火災現場からも

▲ 綾里小では緊急消防援助隊員が黙とうをささげた=11日午後2時46分

 東日本大震災は、11日で発生から14年となった。巨大な津波に襲われた気仙両市では1897人(震災関連死除く)が亡くなり、280人(死亡届受理数を含む)の行方が今も分かっていない。大船渡市では2月末からの大規模火災で、平成以降で最大級の被害を受け、震災との「二重被災」に見舞われている。火災の現場から、津波の教訓を後世に伝える場から──。気仙の住民らはそれぞれの地で、津波犠牲者を悼む祈りをささげた。

 

火災で全焼した綾里・港地域の自宅前で黙とうする東川さん㊧と友人の水野さん=11日午後2時46分

 震災はマグニチュード9・0、最大震度7を記録。2月末現在の警察庁のまとめによると、死者・行方不明者は岩手を含む12都道県で1万8420人に上る。震災関連死は昨年12月末現在で3808人(復興庁まとめ)。
 住家は大船渡市2891世帯、陸前高田市3805世帯が全壊(ともに市まとめ)。被災したハード面の復旧は両市でほぼ終了し、今後は被災者の心のケアなど中長期的な対策が継続して求められる。

 

 

 11日の気仙は穏やかな日和に恵まれた。津波に襲われた14年前の同日は雪も降って冷え込んだが、この日の最高気温は大船渡で12・8度(平年比4・6度高め)と4月上旬並みの暖かさとなった。
 大規模火災で特に大きな被害を受けた大船渡市三陸町綾里では、鎮圧後も県外からの緊急消防援助隊による警戒が続いており、綾里小学校の校庭には多数の消防車両が停まる。
 午後2時46分、同校には秋田県大隊などの消防署員が集まった。上空では引き続き防災ヘリが飛び交っていたが、サイレンとともに「黙とう」の号令がかけられると、全員が静かに冥福を祈った。
 10日に秋田県大隊5次隊として現地入りした角館消防署=仙北市=の榊田和則副署長は「火災は下火になっているが、現在も熱源があると思われる場所の調査と警戒を行っているところ。秋田も雪が解けて林野火災のおそれが高まる時期なので、ここでの経験を踏まえ、災害による被害防止を呼びかける」と話した。
 綾里港地域の東川樺恩さん(高田高1年)は、家族5人で暮らしていた2階建ての自宅が全焼。11日は、友人の水野葵唯さん(同)と2人で持ち帰れる思い出の品がないか探しに訪れた中で地震発生時刻を迎え、「綾里でも震災で亡くなった人がたくさんいた。安らかに眠ってほしい」と海の方向へ黙とうをささげた。
 「綾里で火災の被害が出ているとニュースで知り、母からも『覚悟しておくように』と言われていたが、いざ燃えた家を目の当たりにすると、最初は現実かどうか分からなかった」と東川さん。「火災で家は燃えてしまったけど、ネガティブなことも、考え方を変えれば良い方向に向かっていくというのが家族からの教え」と語り、焼け落ちた自宅で拾った自身が集めていたお気に入りの缶バッジを手に前を向いた。
 県内で唯一、国営追悼・祈念施設が入る陸前高田市の高田松原津波復興祈念公園では、市内外の多くの人が海を望める防潮堤の上に並び、地震発生時刻に鳴ったサイレンに合わせ、黙とうをささげた。
 埼玉県越谷市の新井清一さん(64)は「地震や大雨など、いつ、どのような災害が起きるか分からないような状況。陸前高田を訪れると、備えの重要性に気付かされる」と語り、園内にある奇跡の一本松を見上げた。
 14年前、宮城県気仙沼市で震災に遭ったという一関市の坂本真美さん(40)は、長女の蘭凪ちゃん(3)と来園。「震災を知らない世代は年々増える。娘にも津波の恐ろしさを伝えたい」と話した。