細やかな被災者支援を 赤崎・綾里大火 避難所の集約進む 〝3カ所目〟の滞在となる住民も
令和7年3月13日付 1面

大船渡市の赤崎・綾里大火を受け、市内各地に設けられていた避難所で12日、集約に向けた撤収作業が行われた。最大で1200人以上が利用していたが、同日には56人に減少。一方、この中には、先月19日に発生した綾里・田浜地域の林野火災時に避難を強いられた住民も含まれる。応急仮設住宅は着工から完成まで1カ月程度が見込まれ、きめ細やかな被災者の心のケアはもちろん、行政機関などが住宅再建の道筋を明示するなど復旧・復興の前向きな思いをつなぐ取り組みも重要となる。
三陸町越喜来の三陸公民館では12日、撤収作業が行われた。先月26日の出火当日から避難所となり、250人を超える日もあった。
同館は14年前の東日本大震災で、2階天井まで浸水。基礎は無事だったため、災害復旧工事を経て、平成27年4月から再び利用され始めた。大規模な避難所利用は、今回が初となった。
館内に事務所がある越喜来活性化協議会の鈴木健悦会長は「震災の時に『助けられた』という思いが、みんなにあるのではないか。当日晩と朝の炊き出しは、越喜来の各地域が本当に素早く動いた」と語る。
また、三陸公民館に詰めていた綾里地区公民館の村上芳春館長は「スペースごとに避難所利用者のコミュニティーが形成され、その中から選出された代表が親身になって動いてくれた」と振り返る。
住宅が全焼し、引き続き避難生活を余儀なくされる住民もいる。「新たな集合体の中で、次の住まいにどうつなげるかが大事。まずは、避難所で開催される14日(金)の住まいの再建に関する意向調査の説明会でどのような道筋が示されるか。新たなまちづくりにとっても重要」と話す。
避難所の集約先となるのは、立根町の福祉の里センターと三陸町綾里の三陸B&G海洋センター。福祉避難所は立根町の「百年の里」とする。同センターは、綾里で被災した世帯の利用を想定し、一定数の受け入れができると判断。赤崎町の外口地域で多くの家屋被害が出た一方、まとまって過ごせる公共施設確保が難しく、現在利用している福祉の里を継続する。
12日正午近くまで、三陸公民館で支援スタッフらと談笑を交わしていた綾里・田浜地域在住の熊谷玉子さん(77)。先月19日に発生した同地域での林野火災で避難指示が出たことから、綾里の綾姫ホールに身を寄せた。自宅に戻り、26日には近くの山から自宅に火が押し寄せる光景を目の当たりにし、消防関係者に助けられながら避難した。
綾姫ホール、三陸公民館、三陸B&G海洋センターと、田浜の林野火災を含めれば3カ所目となる。「小さい家でいい。元の場所で暮らしたい」と心境を明かす。
赤崎・綾里大火に伴う住家被害は全壊が76棟で、全壊以外は26棟。このうち2割ほどが空き家とみられるが、多くの世帯が住まいを失った。応急仮設住宅について、市は県に対し、旧綾里中グラウンドに30戸、旧蛸ノ浦小グラウンドに10戸を要請。一般的には着工から整備に30日程度を要するという。
避難指示解除に伴い、変わり果てた住宅や地域を目にしたことによるショックへの対応も重要となる。「涙が止まらない」「以前と比べて、活力や集中力が低下している」「強い不安や心配、恐れの気持ちがわく」といった反応など、市では心のケアにも力点を置く。避難所の利用者が減少している中、保健師らの訪問では時間をかけて一人一人に向き合い、悩みや相談に耳を傾ける体制をとる。
また、親戚・知人宅への避難者や、自宅に戻った後の心身の不調や悩みに関しても、市地域福祉課(℡27・3111)で相談を受け付けている。