津波と大火 過酷な「二重被災」 震災で全壊の自宅跡地に建てた倉庫全焼 ワカメ漁師の古川さん 加工設備、漁具全て失う  なりわい再生へ支援訴え

▲ 焼け跡に立ち、「震災後14年かけてそろえてきたものが一度にやられるとは思いもしなかった」と語る古川さん

 大船渡市三陸町綾里の漁業・古川祐介さん(40)は、地元を襲った赤崎・綾里大火で、養殖ワカメの加工設備一式や漁具類を保管していた倉庫3棟が焼失する被害を受けた。倉庫は14年前の東日本大震災で全壊した自宅の跡地に建て、高額な漁業用資機材全てを置くなりわいの拠点だった。震災と火災の「二重被災」に見舞われ、「津波ばかり気にしていた。山火事にやられるとは思いもしなかった。頑張っていくためにも、行政などによる支援を心からお願いしたい」と切実な思いを語る。(高橋 信)

 

 綾里漁港そばにある田浜地区。焼け焦げた倉庫跡で、古川さんが立ち尽くす。
 「正直、見たくはない。でも風で飛んだら迷惑がかかるから、道路に出たものは片付けないと」。
 令和4年に亡くなった父・勝吉さん(享年64)と震災後、力を合わせて整備した倉庫。燃えかすに一変した仕事道具を見つめ、「まさかのひと言。14年かけてそろえてきたものが、ワカメの本格シーズン目前に一度にやられるなんて…」と悔しさをにじませる。
 祖父、父とつないできたワカメ養殖。「子どもの頃から手伝っていた。家族、親戚みんなでやるものだった」。三陸産ワカメは県内外から人気を集める。古川家にとって、なりわいの柱だった。
 しかし、14年前、恵みの海が突如として牙をむいた。古川さんは自宅や漁船、養殖施設などを失った。
 「嘆いていても仕方がない」。致命的な被害を受けた逆境にもめげず、早期に立ち上がった。「まずは作業場」と、震災があった平成23年、流された自宅跡地にプレハブの倉庫1棟を建てた。
 その後も段階的に機械や漁具を購入し、「長屋」と呼ぶ倉庫に保管。一昨年にはタコ漁の仕掛けなど買い足した漁具や餌を置くため、3棟目を増設した。加工ワカメの箱詰め、ウニのむき身、漁具の製作・修理などでほぼ毎日通い、家よりも長く過ごしてきた仕事場だった。
 そうした中での夢想だにしない林野火災。しかも、立て続けに3件起きた。
 2月19日、自宅がある田浜下で1件目が発生。市消防団員の古川さんは、消火や警戒活動に休まず当たった。懸命の消火作業により、火災は25日午後3時過ぎに鎮圧。しかし、その約15分後、陸前高田市小友町と大船渡市末崎町にまたがる山林で新たな火災が起きた。
 2件目は翌26日に鎮圧。「やっと終わった。風呂につかり、ぐっすり寝られる」。休んだあとはワカメ収穫に向けた準備が待っている。倉庫にしまっていたボイルや塩蔵用機械を漁港に運ぶつもりだった。
 安心したのもつかの間、3件目がその日のうちに起きた。平成以降最大規模にまで延焼拡大した大火は、運べなかった機械などを容赦なく焼いた。
 設備一式を失ったため、昨年11月から育てた今季分は生ワカメとして出荷する予定。取扱額は加工品を大きく下回り、「最後の肝心の工程ができず、一番痛いところをやられてしまった」と顔をしかめる。
 それでも「家と船が残っている。家族の命も無事だった。作業場も家も失った漁業者がいる中で、基幹産業の漁業を自分が辞めるわけにはいかない」と前を向く古川さん。「ただ、震災後に建てた家や船のローンが残っており、家族も養わねばならない。復旧・復興は、行政などからの支援がないと不可能だ。ワカメの準備は毎年あるので、支援の見通しを早期に示してもらいたい」と求める。