「中尊寺経」の一部発見 住田町内の個人宅で 藤原秀衡の紺紙金字一切経 実物の可能性大、価値〝国宝級〟

▲ 世田米の個人宅で発見された「紺紙金字一切経」の一部

 平安時代後期に東北地方で勢力を持った藤原清衡・基衡・秀衡の3代によって、天治3(1126)年創建の中尊寺に奉納された「中尊寺経」。寺外に流出したものも多い経だが、このほど住田町世田米の個人宅で、秀衡が奉納し、流出して以降所在不明となっていたものとみられる「紺紙金字一切経」の経巻が発見された。秀衡が奉納し、中尊寺に現存する約2800巻は一括で国宝に指定されている。同町で発見された経巻は実物である可能性が高く、平泉世界遺産ガイダンスセンターでは「国宝級の価値がある」としている。(清水辰彦)

 

 平泉文化を象徴する一つである「中尊寺経」は、仏教経典を書写した経の総称として知られる。清衡は、紺色に染めた紙に金泥と銀泥で交互に文字を書いた「紺紙金銀字交書一切経」を約5300巻、基衡は金泥で書いた「紺紙金字法華経」を1000巻、秀衡は同じく金泥で経典を書写した「紺紙金字一切経」約5300巻をそれぞれ奉納。このうち、「紺紙金字一切経」は現在、中尊寺に2800巻ほどしか残っておらず、そのすべては国宝に指定されている。
 平泉町の平泉世界遺産ガイダンスセンターは昨年、中尊寺金色堂建立900年を記念した「清衡の平泉」と題する企画展を開催。流出していた「紺紙金銀字交書一切経」のうちの一巻を展示した。
 この企画展をきっかけに、世田米の個人宅に保管されていた経巻が町文化財調査員の千葉英夫さん(82)=世田米=を通じて今年1月末、同センターに持ち込まれ、センターを指定管理する県文化振興事業団の羽柴直人上席専門学芸員が実見、写真撮影。その後、中尊寺への問い合わせや識者からの助言も合わせて、さまざまな視点から検討した結果、「この経巻は秀衡が奉納したうちの一巻である可能性が非常に高い」との結論に達した。
 今回発見された経巻は、12世紀後半に奉納されたものとみられる。経典の内容に関連するする仏画などが描かれている「見返絵」のほか、経文の1枚も欠けているが、保管状態は良好だという。
 経巻は木箱に収められており、箱には「稲子澤ノ出弁慶ノ書ト称スルモ 高野山忍海僧師ハ 欽明天皇御真筆ト鑑定セリ」と書かれている。この「稲子澤」は、江戸時代に仙台藩と深い関わりを持ち、莫大な財力を築いて東北にその名を響かせた気仙郡猪川村(現・大船渡市猪川町)の通称・稲子澤長者を指すと思われる。百観音像を祭るほど仏教信仰にあつい家柄であった稲子澤長者が寄進を行い、その返礼に経が与えられ、その後、つながりのあった世田米にわたったとも推測できる。
 この経巻は27日、同センターで報道陣にお披露目され、県文化振興事業団の石田知子理事長、住田町の松高正俊教育長がそれぞれ、歴史的に大きな価値がある可能性の高い経巻発見への喜びを口にした。
 町教委では今後、所有者と相談しながら可能であれば修繕し、「地域の宝」として保管していきたい考えで、松高教育長は「非常に貴重なものが発見されたので、住田の宝とできるような取り組みをしていきたい。所有者さまの意向も踏まえたうえで、町民の目に触れる機会も設けられれば」と語った。
 自宅で経巻を保管していた男性は「今後のことは役場と協議して決めることになるが、住田にゆかりのあるものなので、より多くの町民の目にとめるようにできれば」と話している。