東日本大震災14年/市職員として決意の一歩 気仙町の吉田さん 震災で祖父亡くし自宅全壊(別写真あり)
令和7年4月2日付 7面

陸前高田市の新採用職員辞令交付式は1日、市役所で行われ、新たに9人が入庁した。14年前の東日本大震災で一緒に暮らしていた祖父を亡くし、自宅も流された吉田珠樹さん(22)=気仙町=もその一人。大好きな古里で働くという夢をかなえ、決意を胸に新たな一歩を踏み出した。(高橋 信)
辞令交付式には新職員9人が出席。佐々木拓市長は「市内にはまだ空き地が多いが、まちづくりの伸びしろがあるということでもある。当市を将来にわたって発展させていき、震災前のような明るく、にぎやかなまちを取り戻すため、一緒に取り組みを進めていこう」と呼びかけた。
職員代表で辞令書を受け取った吉田さん。「大変緊張したけど、無事終わり安心した」と胸をなで下ろした。
吉田さんは、宮古市で生まれ、4歳の時に父の実家がある気仙町今泉地区に転居。同地区には、地元住民が脈々と受け継ぐ夏の伝統行事「けんか七夕」がある。「私の中にもけんか七夕を愛する血が流れている」。幼いときから大好きな祭りだった。
しかし、小学2年の時に震災が起き、津波が何もかも奪った。元小学校教諭で、当時、高田松原を守る会の会長を務めていた祖父の正耕さん(70代)が犠牲となり、一緒に過ごした家も失った。今泉は市内でも特に深刻な被害を受け、「信じられないような気持ちだった」と現実感を持てなかった。
慣れ親しんだ今泉を離れ、高校2年生の頃まで町外での仮設住宅生活を強いられた。過酷な状況下でも年に一度のけんか七夕が心のより所だった。
北海道の大学に進学し、子どもの保育に関して学び、「子どもに直接関わるのも好きだったけど、保育や子育てに関わる制度を整えるなどの仕事の方が肌に合っていると思った」という。「大人になったら陸前高田で働きたい」という、もともと抱いていた夢にも合致する市職員を志すようになった。
配属先は子ども未来課。「関心のある部署なのでとてもうれしい。何も分からない状況ではあるが、市民が安心して暮らすために働く職員を目指し、一つずつ仕事を覚えていきたい」と意欲を燃やす。
大好きだった祖父。「優しくしてもらったという記憶しかない。祖父のことを知っていただいている方もいるので、その名に恥じぬよう頑張りたい」と笑顔で語る。