14年前の気持ち、返したい 木村屋が菓子製造で支援へ 能登で被災の老舗・中浦屋を

▲ 能登半島の地形を模したポーズで、お互い支え合う気持ちを再確認した木村さん㊨と中浦さん夫妻

 東日本大震災で被災し、陸前高田市高田町で再建した「おかし工房木村屋」(木村昌之代表)が今夏、能登半島地震で大きな被害を受けた老舗菓子店「㈱柚餅子総本家 中浦屋」(中浦政克社長、石川県輪島市)の商品をベースにした新商品を製造することになった。平成23年の大津波直後は、中浦屋の支援によって再出発を後押しされた木村屋。「14年前に『菓子を作れないつらさはよく分かる』と言ってもらった。今度はこちらが同じ気持ちを返す番」と、地域に根ざす菓子店の魅力を生かした製品を〝復活ののろし〟として打ち出す構えだ。(鈴木英里)

 

 明治43(1910)年創業の中浦屋は、輪島を代表する銘菓「丸柚餅子(まるゆべし)」をはじめ、地域の素材を生かした和洋菓子を製造。しかし、昨年の地震と、これに伴う大火災によって、生産工場と4店舗を失った。工場再建は来年夏になる見通しで、発災から1年3カ月以上経過した今も一部の生菓子を製造販売するにとどまる。
 一方の木村屋は平成23年の大津波で、気仙町にあった本店、高田松原の物産館にあったパン・洋菓子の店がいずれも全壊。同年夏、被災地支援のあり方を探るため陸前高田を訪れていた中浦屋社長の中浦さん(61)と木村屋代表の木村さん(67)が「同業者だから」と偶然引き合わされ、木村屋は同社から調理場付きコンテナを譲り受けることになった。
 コンテナは、能登半島で同19年にも起きた地震で工場が稼働できなくなった際、中浦屋が製造場所として使っていたもの。木村さんはこの譲渡を受けて少しずつがんづきやゆべしなどを作れるようになったことが「『また店をやるぞ』と決意するきっかけになった」と振り返る。
 木村屋はこの時の感謝を胸に、能登半島地震の発生直後から中浦屋への支援を模索。店で働きながらギタリストとしても名をはせる木村さんの長男・洋平さん(39)は、自身が制作したギターインストゥルメンタルCDの売り上げの大半を寄付し続けている。
 木村さん自身は「菓子製造を通じて応援したい」と、これまでも製造委託などができないか中浦さんたちと打ち合わせを進めてきた。しかし、「うちでレシピ通りに作ってみても、やはり完全に同じ形、同じ味にはならない。これを中浦屋さんの商品として売るのは難しい」といい、実現には至っていなかった。
 そこで、両店はあくまで新商品として、中浦屋で人気の高い「高洲山」というミルクあん入りの焼き菓子をベースにした〝コラボレーション商品〟を開発することに。形状やパッケージなども新しく考案し、ともに震災を経験した両者の絆を伝える製品を目指す。
 中浦さんの妻・麻美子さん(56)は「高洲山は復活を待たれるお客さまが多く、私も好きなお菓子。どんな仕上がりになるか楽しみ」と期待する。また、地域からも「よその人へお土産にするお菓子がほしい」と要望が高まっているといい、日持ちする製品を提供できるようになると喜ぶ。
 木村さんは「木村屋で震災後に開発した『夢の樹バウム』も、ボランティアで来てくれた人や、遠方の方へのお返しとして喜ばれた。全国からの派遣職員の方もお土産に買ってくださったことで、各地にファンもついた。支援に対するお礼の品として、地元のお菓子があるのは大事なことだと思う」と語る。
 中浦屋は7月に仮設店舗がオープン予定で、そこに合わせコラボ商品を発売したい考え。木村屋でも同じ商品を店舗とオンラインショップで販売するなどし、売り上げの一部を寄付する計画がある。
 また、木村屋が一昨年秋からジェラートを店頭販売していることも参考に、中浦屋は能登の塩や海藻、同社の「代名詞」ともいえるユズを使ったフレーバーを提供できないか検討。同社は工場再建のため、投資型の「復興ファンド」も募りながら、仮設店舗での営業を足がかりに本格再建を目指す。
 中浦さんは「遠く離れた地域に根ざす同業者だからこそ、〝良い距離感〟で率直な意見交換ができる。木村屋さんの経験に教えてもらいながら、再建に向けお客さまの期待に応えていきたい」とし、同店のサポートに感謝を示した。