大船渡市消防団の活動――大規模林野火災 大田昌広団長に聞く㊤ 3度にわたる全分団出動
令和7年4月26日付 1面

2月26日の大船渡市大規模林野火災の発生から2カ月を迎えた。現場では、市内消防関係者が緊急消防援助隊や自衛隊とともに消火活動を展開し、火災は3月9日に鎮圧。その後も、大船渡市消防団が大船渡地区消防組合などとともに鎮火に向けた残火処理を行い、4月7日には鎮火が宣言された。気仙では林野火災が立て続けに3度発生し、いずれも市消防団の全分団が出動する事態に。団員らは連日の大規模出動による疲労が懸念される中でも、昼夜を問わない消火や警戒を行ってきた。火災発生直後からの活動について、大田昌広市消防団長に聞いた。(聞き手・齊藤 拓)
──3度にわたる林野火災は、いずれも平日の日中に、前の火災の鎮圧から1時間とたたずに起きている。発生直後の消防団員の対応は。
大田 いずれも、地元の団員が現場に急行して消火活動にあたった。多くの団員は、仕事を中断して駆けつけてくれたものと思う。 2月25日に陸前高田市小友町と大船渡市末崎町で2度目の林野火災が発生した時、私自身は直前に鎮圧となった綾里・田浜下地区の林野火災の団本部から引き揚げている最中だった。発生を知ったあとは、大船渡消防署に立ち寄り体制を立て直してから末崎町の現場に急行した。この火災でも、全分団が出動した。
一夜明けた26日は、早朝まで地元の4分団が、同日の午前中は大船渡町南地区の3分団が、それぞれ対応にあたった。
その後、午後1時2分に消防が赤崎町合足で3度目の林野火災の発生を覚知したことで、3、4分団の一部をのぞく全団員で消火活動を行った。連日の大規模出動で、全団員が心身ともに疲れていたはず。
──緊急消防援助隊や自衛隊到着後の活動は。
大田 26日の午後10時ごろに、最初の消防援助隊として宮城と山形の大隊が到着したので、消防団は活動を交代した。赤崎町の5分団と6分団が最後まで活動を行っており、27日の午前7時過ぎに交代した。それまでは12時間以上にわたり、合足漁港から海水をくみ上げて大船渡消防署の隊へ送水を続けていた。
その後、避難指示が発令された地域の団員たちは、団の車両を三陸公民館やリアスホールに移動した。これにより、現場に置き去りにされた車両は一台もなかった。
それからは、次の火災の発生に備えて通常待機の状態となり、団員らも日中はそれぞれの仕事などをしていた。その中で、綾里地域の10分団は、関係部署から現場への立ち入り許可を得て、同地域の視察を行っていた。