■大震災14年・伝えるを問い直す/古里離れても伝承携わりたい 陸前高田出身の若者「語り部」に オンラインで活動継続に活路(別写真あり)

▲ 県外にいながら、陸前高田の「語り部」としてオンラインで自身の体験を伝えた小野寺さん

 東日本大震災の被災地に生まれ育ち、学校などでも震災伝承や防災について学ぶ機会が多い気仙の児童・生徒の中には、自らも「古里に起きたことを次代へ伝えたい」と行動に移す人が少なくない。一方、高校までは防災等の活動に関わっていても、進学すれば必然的に地元を離れねばならず、大人になるにつれ発信機会が減ってしまうといった課題がある。このため陸前高田市の一般社団法人トナリノ(佐々木信秋代表理事)は、意欲ある生徒らに「若者伝承チーム」としての活動を呼びかけ、進学で市外へ出たあともオンラインなどで活躍できる場を設けている。(鈴木英里)

 

 トナリノは米崎町にある3・11仮設住宅体験館へ足を運んだ人向けに、被災経験を持つ市民らの語りを提供。今年3月27日には、「3・11メモリアルネットワーク基金」の助成を受け、遠隔地にいる同市出身者が陸前高田を訪れた人に対してZOOMで体験を伝える「オンライン語り部」を初めて実施した。
 この日の語りを務めたのは、青森県在住の大学2年生・小野寺麻緒さん(高田町生まれ、県立高田高校出身)。同日は兵庫県神戸市の高校生、専門学校生らによる「あすパ・ユース震災語り部隊」が陸前高田を訪れており、小野寺さん自身は青森にいながらモニター上で〝語り部デビュー〟を飾った。
 5歳の時に被災し、両親と姉、当時生後2カ月だった妹とで、仮設住宅に5年間暮らした小野寺さん。遊具がなくても同じ仮設の友達と工夫して楽しく遊んだこと、住居の壁が薄いため、騒げず我慢したことなど、子どもとして感じていた率直な気持ちとともに、近所のつながりの大切さ、今だからこそ理解できる両親らの心情などについても話した。
 小野寺さんは中学生の時に市の「防災マイスター」養成講座を受けて資格を取得。高校時代には地元の小中学校で防災教室の講師を務めるなど、積極的に防災・伝承に携わってきた。特に、子どもが自分で必要な持ち物を考えて用意する「防災リュック」について熱心に啓発しており、同日もこれまでの取り組みを振り返った。
 日頃、神戸の被災者との交流を通じて伝承活動をするあすパ・ユースのメンバーは、「震災体験というと、つらい思い出や大変だった出来事が中心だと思っていた。子どもの視点で、楽しかったことなどを話してくれたのが印象的」「震災の事実を伝えるという目的で活動してきたが、『防災リュックには避難所で心の支えとなるものを入れておいて』と聞き、自分が被災者になった時のことをイメージできていなかったと気づいた」といった感想が寄せられた。
 引率した灘高校の池田拓也教諭(48)も「神戸だと〝被災した人の子ども時代〟の話は聞けても、同世代の体験を聞くことはない。語り手の年齢が近いからこそ出来事をイメージしやすい・共感しやすいといった意義があるのでは」と話していた。
 また、小野寺さんの話を一緒に聞いた「若者伝承チーム」も刺激を受けるとともに、今後の展望が開けたようだ。
 高田東中3年の米沢多恵さんは、自身も防災マイスター。いずれは語り部活動をしたいと考えており、「『子どもにも取り組める防災がある』という小野寺さんの話にうなずいた。普段は大人の被災体験しか聞くことがないけれど、子どもには子どもならではの伝え方があるのではと思えた」と静かな意気込みをのぞかせた。
 また、「防災マイスターを取ったからには継続して防災に関わろうと、このチームにも参加した」という住田高校2年の金野恵人さんは、「震災伝承を続けていくことは、被災した陸前高田に生まれた自分のアイデンティティーであり、地元愛のあらわれでもある。自分以外にもやる気に満ちた学生が多い地域なので、こうして活躍の場が増えるといいのではないか」と語る。
 小野寺さんも「妹は赤ちゃんだったので震災の記憶がない。そうして震災を知らない人が増えても事実を風化させず、防災意識を保っていくには、どんどん伝えていくことが大事だし、話をすることで私自身の記憶も保てている。陸前高田は『伝承活動ができるまち』。離れていてもやれることを続けたい」と話し、青森県内でも活動を広げる意欲を示していた。