チリ地震65年 鎮魂の祈り 加茂神社で慰霊祭 記憶と教訓の風化防止誓う(別写真あり)
令和7年5月25日付 1面

チリ地震津波の発生から65年を迎えた24日、大船渡市大船渡町に鎮座する加茂神社(荒谷貴志宮司)で慰霊祭が行われた。参列した総代らは、津波犠牲者への鎮魂の祈りをささげるとともに、災害の記憶や教訓の風化防止に向けた誓いも新たにした。
チリ地震津波は、昭和35(1960)年5月23日の日本時間午前4時すぎ、南米チリ南部で起きたマグニチュード9・5の超巨大地震を端緒に発生。大津波は丸一日かけて太平洋を進み、約1万7000㌔離れた日本太平洋岸全域に到達した。大船渡湾では、地震発生から22時間30分後の24日午前3時10分に上げ潮を観測し、その後最大波が市街地を襲った。国内の死者・行方不明者142人のうち、大船渡市では最も多い53人が犠牲となり、家屋などの損害は80億円以上にのぼる甚大な被害をもたらした。陸前高田市でも8人の尊い命が奪われた。
これを教訓として、発災1年後の同36(1961)年5月24日、同神社境内に津波避難を呼びかけるサイレンを鳴らすための津波警報塔(高さ24㍍)を設置。チリ地震や東日本大震災における津波の脅威を訴えるサイレン吹鳴を続け、令和5年3月末で吹鳴は終了したが、防災行政無線の役割を果たしている。
警報塔は、全国からの義援金の一部を使って整備し、これに合わせて、当時の鈴木房之助市長の「誓ってかかる災いを繰り返すまじとの祈りをこめて」といった言葉を記したプレートを埋め込んだ碑も建てた。経年劣化で碑は取り除かれたが、現存するプレートは今でも、地震、津波の早期避難の重要性を市民らに伝える。
発災65年となった同日の慰霊祭には、総代会や敬神婦人会から約20人が参列。神事では荒谷宮司が祭詞奏上を行い、大船渡における津波の惨状などに思いをはせた。最後は、昭和57(1982)年、医師の佐藤政勝さん(当時77)によって境内に建立された碑に刻まれている「生きてまた津浪の土に種子おろす」の句で締め、「海外の地震から津波が襲うという、信じがたい出来事だった。近年は海底火山活動による潮位変化など、海の状況も変わっている。地域の子どもたちの明るい声や笑顔を、亡くなられた方々も遠い空から見てくれていると思う。慰霊祭に参列する地域の方も少なくなってきたが、総代や婦人会の皆さまには、こうした行事を忘れずに伝えていってほしい」と語った。
及川千春総代会長(79)は「当時は災害の状況を知るのが難しかったと思うが、今はすぐに情報がつかめる。これから再び大きな津波が来るかも分からない。こうして毎年慰霊祭を行うことで、記憶の風化を防ぎ、教訓を伝えていきたい」と力を込めた。