東日本大震災14年/「ここにいるよ」彩り再び 行方不明・瀬尾佳苗さんのタイヤ 越喜来小で遊具利用 ペンキ塗り直し(別写真あり)

▲ 子どもたちとともにペンキの塗り直しに励む瀬尾眞治さん(中央)ら

 大船渡市三陸町越喜来の越喜来小学校(鹿糠康校長、児童64人)で26日、遊具利用のタイヤにペンキを塗り直す作業が行われた。22本のうち4本は、東日本大震災当時、越喜来にキャンパスがあった北里大学海洋生命科学部2年で、行方不明となった東京都出身の瀬尾佳苗さん(当時20)が使っていたもの。瀬尾さんの家族や同校児童らがともに手を動かして「佳苗がここにいる」と思いを寄せると、タイヤに彩りが再び生まれた。(佐藤 壮)

 

 塗り直しの作業には、越喜来で「潮目」を管理する片山和一良さん(74)や瀬尾さんの父・眞治さん(71)=東京都練馬区、居酒屋「越喜来や」=埼玉県志木市=の常連客に加え、越喜来小の児童ら約40人が参加。手分けをしながらタイヤ22本に色を塗った。
 越喜来小の森永翔さん(2年)は「水色や赤色、黄色を塗って楽しかった。2学期になったら『どんじゃんけん』で友達と遊びたい」と話し、笑顔を見せた。
 同校は津波で被災し、平成28年11月に新校舎の供用が始まった。学校関係者が片山さんに相談し、校庭の一画に、供用前に利用していた旧甫嶺小校舎でも子どもたちが親しんでいたタイヤの遊具が設置された。
 タイヤの多くは片山さんが確保したが、眞治さんが整備について聞き、東京の自宅に保管していた佳苗さんの夏用タイヤを提供。設置作業には定期的に開催するツアーなどで片山さんらと交流が深い「越喜来や」の常連客も参加した。
 直線状に並ぶタイヤは今も人気の遊具で、休み時間や放課後にスクールバスを待つ時間には、児童の歓声が響き渡る。大規模林野火災で同校が避難場所になっていた時期は、綾里地区から身を寄せた子どもたちのリフレッシュや交流を生み出す役割も果たした。
 この日は、平成28年度から3年間同校で勤務した浦嶋健次さん(41)=遠野東中=も作業を見守った。30年度に担任となった5年生は、震災学習の一環として、このタイヤの遊具が取り付けられた経緯などを学んだほか、集大成として演劇にも取り組んだ。
 演劇に参加した児童たちは翌年、タイヤの塗り直しを行っており、今回の作業はそれ以来となる。浦嶋さんは「当時から語り継いでほしい思いがあった。塗り直しを通じて、由来を思い出すきっかけになれば」と語り、目を細めた。
 震災前、北里大の学部生は1年時は神奈川県の相模原キャンパスで学び、2年時から三陸キャンパスで学習。佳苗さんは水族館の学芸員を目指して越喜来のアパートに暮らし、地域住民らと交流を深めた。
 作業を終え、眞治さんは「小さい子たちが遊んでくれている。塗り直しは、それだけみんなで使ってくれているということ。これがあることで『佳苗がいる』と、改めて感じられる。ここで使っていた、思い出深いタイヤだから」と語った。