震災後の思い引き継ぐ うごく七夕和野祭組 改修した旧森の前の山車運行へ

▲ 森の前から受け継ぎ改修した山車と和野の及川会長

 陸前高田市高田町の和野七夕祭組(及川洋太郎会長)は、旧森の前七夕祭組から譲り受けた山車を改修し、8月7日(木)の「うごく七夕」で運行する。東日本大震災後に支援によって造られた山車で、和野のメンバーは本番当日、新たな山車に華やかな飾りを施し、解散した森の前の関係者や復興支援者らの思いも受け止めながら、震災後の街を練り歩く。(阿部仁志)

 

 盆供養の伝統行事として地域に根付いているうごく七夕。震災前は、和野や森の前を含む高田町内の11地区と、米崎町沼田の計12の祭組が山車を運行していた。
 震災では、大津波で市街地が壊滅的被害を受け、森の前など複数の町内会が解散を余儀なくされたが、それぞれ震災前から形を変えながらも山車運行や盆供養の取り組みを継続。その一方、各地区で人口減少や高齢化が進み、山車制作、運行の人手不足が大きな課題となっている。
 森の前は、流失した山車を各方面からの支援で復活させ、平成25年から30年まで運行してきた。しかし、継続が難しくなり、令和元年からは山車の運行を行っておらず、のちに解散。山車は和野、太鼓は大石の各祭組に譲渡した。
 和野のメンバーによると、3年前に譲り受けた森の前の山車は所々調整が必要で、傷んでいる箇所も多く、すぐに使える状態ではなかったという。約50年間使用し老朽化が進んだ和野のもとの山車と〝バトンタッチ〟するタイミングを今年に定め、木材や部品の交換、防腐処理など改修を進めてきた。
 改修された山車は「もとの山車と高さは変わらないが、幅が少し広がった」という。七夕当日は、昔ながらの手法で染めた多彩なアザフの装飾を施し、威勢の良い祭りばやしを響かせながら、和野地区や中心市街地、旧森の前地区付近を練り歩く。
 森の前で最後の会長を務めた鈴木正春さん(75)=高田町=は「さまざまな過程を経てできた山車。今年から運行されるという連絡をいただき、心からよかったという思い」とし、大石祭組に渡った太鼓も含め、街のにぎわい創出の一助となるよう願う。
 及川会長(68)は「預かった山車をやっと運行することができ、ほっとしている。装飾は、今年もデザイン担当が力を入れて取り組んでいるので、当日を楽しみにしてほしい。多くの人に見てもらいたい」と広く呼びかけている。
 震災後、うごく七夕で12祭組の山車が運行されたのは、平成25年が最初で最後。現在、沼田と森の前以外の10祭組が存続し、今年は松原以外の9祭組が山車の運行を決めている。