宮沢賢治 鳥羽源藏 早坂一郎の親交に光 100年前の〝真実〟示す書簡 市初代学芸員の故・山田弥太郎氏が保管 博物館で展示へ
令和7年8月2日付 7面
大船渡市立博物館の前身である市立科学博物館が発足し、今年で70年を迎える。初代学芸員の故・山田弥太郎氏が寄贈し、同館で所蔵する資料の中に、陸前高田市出身の博物学者・鳥羽源藏と童話作家・宮沢賢治、さらに古代生物学の大家・早坂一郎の親交に関する書簡が残されている。「イギリス海岸」(花巻市)で宮沢賢治が見つけたとされるクルミの化石を受け、100年前に早坂一郎が調査で訪れた際の〝真実〟を示す内容も。節目の年に、山田氏が残した資料の貴重さが浮かび上がる。(佐藤 壮)
山田氏は、昭和53年発行の『大船渡市史地質・考古編』で地質編の執筆を担当。謝辞の中に「故早坂一郎先生には、鳥羽源蔵先生との出合いの模様やその後の気仙地方における地質学研究とのかかわりあいについて、私信を通じて詳細にご教示にあずかった(原文まま)」とある。
平成4年に市政功労表彰を受けて以降、博物館に対して多くの図書や資料などを寄贈し、平成24年に死去。図書は「山田弥太郎文庫」として所蔵されている。
地質学にも造詣が深い宮沢賢治と、「岩手博物界の太陽」とも呼ばれた鳥羽源藏は、学問を通じて親交があったとされる。賢治は自ら「イギリス海岸」と名付けた北上川河畔で、クルミの化石を見つけ、鳥羽源藏に相談。鳥羽源藏は、研究活動でつながっていた東北帝国大の地質・古生物教室に所属する早坂一郎に照会した。
早坂一郎が実際に花巻で調査したのが、今から100年前の大正14年。翌年、論文で貴重な化石であることを発表し、この中に宮沢賢治への謝辞も添えられた。
その後、早坂一郎が残した随想集には、仙台から陸前高田市小友町にあった鳥羽源藏宅を訪ね、賢治に会い、採集現場まで歩いて向かった記述がある。しかし、花巻までは距離があり、自らも「遠い昔の記憶」と周囲に明かし、真実は謎に包まれていた。一方、早坂一郎が大正7年、鳥羽源藏を頼りに陸前高田を訪れた記録も残されている。
山田氏が保管していた書簡は、随想集発刊から10年以上前に当たる昭和34年に、化石調査などでつながりがあった早坂一郎から送られた。鳥羽源藏との関係が分かる私信として保管していたとみられる。
その中に「大正7、8年の頃だったでしょう。鳥羽先生のお宅に泊めていただき、飯森(矢作町)やその附近を引き廻していただき、種々の標本を採集した」「昭和元年に、花巻附近産のバタクルミの化石研究を報告しました。その標本を最初に採集したのは宮沢賢治氏だったようです。鳥羽先生を通じて宮沢氏と連絡がとれ、大正14年の夏、現地を宮沢氏に案内してもらって採集をしたのです」とある。
陸前高田、花巻での調査は別の年に行われたことが分かる。さらに、3氏が互いに信頼を寄せて幅広い分野で活躍を残した一端や、大正期に古生層の知見が明らかになっていく中で築かれた人間関係も浮かび上がる。
大船渡市では、昭和30年に市立科学博物館が大船渡町笹崎の旧大船渡町役場内に発足し、公開に向けた準備が始まった。この時、山田氏は非常勤学芸員を務めていた。同館専門研究員の佐藤悦郎さん(73)は、初期の博物館発展に尽力した山田さんが残した資料の存在に思いを寄せる。
佐藤さんは「それぞれの交流関係に加え、山田さんが残した功績の素晴らしさが改めて分かるもの」と話す。同館では、山田氏が残した書簡を8日(金)から展示することにしている。






