戦死した祖父を思って 大船渡出身の佐藤さん トラック諸島へ慰霊の旅

▲ 家族とともに慰霊の旅でトラック諸島を訪問した一之さん㊨(本人提供)=2月

昭和19年に戦死した辰之助さん(一之さん、日頃市町・佐藤功さん提供)

 きょう15日は80回目の「終戦の日」。戦争を知る人々の高齢化が進む中、大船渡市日頃市町出身の佐藤一之さん(59)=千葉県在住=は、海軍の軍人として西太平洋のトラック諸島(現・ミクロネシア連邦チューク州)にて39歳で戦死した祖父・辰之助さんを思い、現地へ〝慰霊の旅〟に出た。辰之助さんが業務に携わったとみられる施設跡や、艦船が沈む海を実際に訪れ、戦争を風化させない思いを新たにしている。          (齊藤 拓)

 戦時中は、日本の統治下にあったトラック諸島。中でも夏島(現・トノアス島)は、連合艦隊の拠点が置かれる軍事上の要所だった。
 旧日頃市村生まれの辰之助さんは、19歳で横須賀海兵団に入隊し、海軍の一員として各地に駐留。会計や経理を受け持つ主計中尉として巡洋艦「香取」に搭乗していた昭和19年2月、同諸島を攻撃した米軍と海上で交戦し、戦死した。
 その孫で、国内外で30年以上新聞記者として勤務した一之さんは、沖縄県赴任時に、沖縄戦の犠牲者への慰霊に関する取材を経験。さらに、辰之助さんの妻で約20年前に亡くなった祖母・イソノさんから、いつか辰之助さんの慰霊に行ってほしいと言われていた。
 戦後80年となる今年、一之さんは自身の仕事が定年を迎えることもあり、「祖母の名代としてこの機会を逃してはならない」と決意。戦争の記憶の風化に対するジャーナリストとしての危機感も加わり、妻と次男の3人で、同諸島への慰霊の旅を計画した。
 2月に現地を訪れ、辰之助さんが眠る海に向けて慰霊した一之さん。現地の海は戦時中に多くの艦船が沈み、現在も辰之助さんを含め戦没者たちの遺骨がある。一之さんは「祖母によると、戦死公報の後に送られてきたのは祖父の名前が記された箱で、中には小石が入っていたという。残された家族の無念はいかばかりだったか」と、当時に思いをはせる。
 このほか一之さんは、現地の日本人ガイドとして戦争の歴史を語り継いでいる末永卓幸さん(76)の案内で、海軍の施設や繁華街の跡が残る夏島を訪問。中でも第4艦隊施設部(経理部)の跡について、「末永さんに『おじいちゃんはここにいたはずです』と言われ、感激した」と話す。
 戦後生まれの一之さんは、生前の辰之助さんを知らない。一方、「海軍時代の部下だったという人たちが『おじいさんにはお世話になりました』と、全国各地から仏壇に手を合わせに来たのを覚えている」と子どもの頃を振り返った。
 そして、「子ども心に『おじいちゃんはすごい人だったんだな』と思い、その孫としてこれから何ができるのか、帰国後は自問自答を繰り返している」と、平和への思いを巡らせている。