終戦80年 守られた遺影 綾里・長林寺 大火乗り越え未来に 見守り続ける120枚 世代を超えて思い寄せ

▲ 綾里出身戦没者の遺影約120枚が並ぶ本堂

 きょう15日は、80回目となる「終戦の日」。大船渡市三陸町綾里岩崎地内に構える長林寺(福山康成住職)の本堂には、綾里出身戦没者の遺影約120枚が並ぶ一画がある。2月の大規模林野火災では、本堂そばの山林まで火の手が及んだが、延焼は免れた。遺族の高齢化が進む中、継承の重要性が増す。未曾有の災禍を乗り越え、守られ続けてきた空間が、世代を超えて平和の尊さを未来へと伝える。(佐藤 壮)       


 綾里から出征し、命を落とした戦没者の遺影約120枚が四方を囲む。現住職の祖父にあたる前代住職の時代からあり、遺影とともに掲げられた板には「殉国」「綾里遺族会」の文字も残されている。
 若き顔とともに、所属していた軍や亡くなった年月、命を落とした場所、戦死か戦病死かなども明記。遺影の列を見渡すと、戦禍に倒れ、家族が待つ古里に帰ることができなかった無念さとともに、今も天から地域を見守っている感覚をもたらす。
 寺の前総代長で、市遺族会綾里支部長の佐々木昭吉さん(83)は、昭和19年に陸軍だった父・栄之助さんを亡くした。「だいぶ前からあったと思うが、遺族会の先輩の方々が尽力されたからこそ。寺に行った時には必ず立ち寄るし、たまたま一緒にいた遺族の人とも、互いに写真を指さしたりして、会話を交わすこともある。この場所があることで、遺族とすれば本当に助かる」と話す。
 寺の檀家かどうかにかかわらず、地元出身者の遺影が並ぶ。終戦75年に当たる令和2年には、当時の遺族会役員がインドネシアに出向いて撮影した「第二次世界大戦慰霊碑」の写真が、本堂に納められた。当時の法要では、地区内の戦没者123人の名前が読み上げられた。
 長林寺は400年超の歴史を有し、大津波犠牲者の慰霊碑があり、幾多の災害の歴史も伝える。かつては、津波による負傷者を治療する場になったとされ、14年前の東日本大震災時は被災した住民らが身を寄せ、寒さをしのいだ。
 今年2月26日発生の大規模林野火災では、綾里地区全域が避難対象となった。発令直後は周囲で黒煙が上り、本堂の裏手にも飛び火があったと見られ、山肌には黒く焦げた木々が生々しく残る。
 出火直後は情報が乏しい中で、寺の関係者から「消防が頑張って火を止めているようだ」と連絡があり、福山住職(66)らはその言葉を信じ続けた。3月10日に避難解除となって寺に戻ると、窓の付近には黒いすすが入り、規模の大きさを物語っていた。
 終戦から80年。戦争体験者は少なくなり、次世代に語り継ぐ重要性が増す。遺影が並ぶ空間は、誰もが訪れることができ、それぞれが思いを寄せながら静かに手を合わせることができる。未来に残すべき大切な空間が、未曾有の大火を乗り越えた。
 盆を迎え、セミの声が響く中、今年もさまざまな人々が平和の尊さを胸に刻む。福山住職は「最近は、若い世代も遺影に興味を持ってくれる。大規模林野火災では、消防の皆さんの力や御慰霊、仏様に守ってもらったとしか考えられない。寺としても特別な場所」と話す。