終戦80年 震災後初の慰霊祭挙行 市遺族会竹駒支部 非戦の誓い継承へ決意(別写真あり)

▲ 震災後初めて執り行われた遺族会竹駒支部の慰霊祭

 陸前高田市遺族会竹駒支部(新沼守支部長)は終戦80年の15日、竹駒町の竹駒神社そばにある忠魂碑前で戦没者慰霊祭を挙行した。同支部は戦後から10年ごとに慰霊祭を行ってきたが、東日本大震災後は今回が初めて。会員の高齢化が進行し、戦争の記憶の風化が懸念される中、参列者は碑石を前に「平和の尊さ、非戦の誓いを次世代に引き継いでいこう」との思いを新たにした。
 忠魂碑は昭和48年に建立。表側には、太平洋戦争などで命を落とした竹駒出身の61柱の名が刻まれている。
 この日の慰霊祭には、会員や竹駒地区コミュニティ推進協議会役員ら15人が参列。開会を前に黙とうし、神事では同神社の菅野哲彦宮司が碑に刻まれた英霊全員の名前を読み上げた。参列者は玉串を奉てんし、恒久平和への祈りをささげた。
 参列者を代表し、佐藤義文副支部長(76)が「戦後80年が経過し、我が国は平和で豊かな暮らしをしているが、亡くなられた方々がつくられた礎のおかげであることを忘れてはならない。戦争を知らない世代が大多数を占める今こそ、戦争の悲惨さと平和の尊さを語り継いでいくことがわれわれ遺族会の使命だ」と慰霊の言葉を述べた。
 市によると、市遺族会の会員数は現在約250人で、震災前の平成22年の約500人から半減。高齢化が進み、活動の継続、次世代への教訓継承などが課題となっている。
 竹駒支部は年に一度、忠魂碑周辺を清掃するなど活動している。終戦70年の平成27年は、同市が震災で被災したことを踏まえ、慰霊祭を見送った。
 市遺族会前会長で、竹駒支部会員の上部修一さん(80)は生後5カ月の時に、太平洋戦争で父・琢造さん(当時27)を亡くした。
 慰霊祭を終え、上部さんは「厳かな式典となり、戦没者を英霊として追悼し、感謝の気持ちをお伝えすることができた。われわれ子世代は70、80代になり、活動が難しくなっているが、安寧を願う慰霊祭などを続けていかねばならない。なんとか次の世代につないでいきたい」と話した。