「砂子浜大家」古文書約3万6000点── 県立博物館に寄贈へ 14代当主の遺志をくみ後世に 三陸町綾里

▲ 長年多くの研究者らが足を運んできた千田家(17日)

 大船渡市三陸町綾里の「砂子浜大家」で保管されてきた約3万6000点の古文書が、盛岡市の県立博物館(坂本美知治館長)に寄贈されることになった。14代当主で、一昨年1月に亡くなった千田基久兵衛さん=享年94=の遺志が生かされた。今月31日(日)に、砂子浜の千田家で贈呈式典と記念行事・報告会が開かれる。東日本大震災や大規模林野火災を乗り越えた貴重な歴史資料群は、未来へと受け継がれる。(佐藤 壮)

 

31日に式典・報告会

 

県立博物館への最終搬出に向けた準備作業(同)

 千田家は戦国時代におこり、砂子浜に集落を開いたと伝わる。江戸時代には、漁業・林業などを営み、生産物を江戸など遠隔地へ移出する廻船商人として栄え、当主は仙台藩治下の綾里村の肝入にも就いた。
 海に関わる産業を通じて、住民のなりわいや、地域社会の形成に大きく貢献。漁業経営を担う網元に加え、幕府が推進した長崎俵物(干鮑、煎ナマコ、フカヒレ)の生産にも関わり、沿岸の繁栄を支えたとされる。
 明治時代以降も区長や村長といった公的な役職に就くなど、地域の〝顔〟としての役割を担ってきた。千田家の土蔵などで代々引き継がれてきた約3万6000点の古文書は、研究者の注目を集め、質、量ともに全国的にも貴重な歴史資料群としての価値を誇る。
 さらに、研究で訪れた人々は「基久兵衛さんがわれわれを迎え入れてくれたからこそ」と感謝を忘れない。多くの学者や郷土史家が訪れるたびに、温厚な人柄で丁寧に応対し、交流を続けてきた。一昨年1月に亡くなって以降は、親族が定期的に訪れて建物を管理している。
 千田家文書を巡っては、大学教員らで構成する千田家文書研究会(代表・齋藤善之東北学院大学教授)が、コロナ禍以降も虫干し作業などを行ってきた。齋藤教授らが所属する研究会組織が20年以上前から整理・撮影を重ね、データベース化に向けた目録作りも進められている。
 平成23年の東日本大震災では、土蔵にも津波が押し寄せた。災害へのリスクに加え、基久兵衛さんの「ご先祖が守ってきた資料をそのままにしておくのは忍びない。どこかに寄贈したい」という生前からの思いもあり、関係者が公的機関である県立博物館への寄贈を検討。今年2月に発生した大規模林野火災では、近隣の山林に火の手が及んだものの、焼失は免れた。
 寄贈に向けた搬出作業は5月と6月に実施。今月17日には最終搬出に向けた準備作業が行われた。31日は午後に行われる搬出に先立ち、午前11時から贈呈式典が開始される。引き続き齋藤教授による「千田家文書の世界 調査の経緯と文書の意義」と題した報告もあり、終了は正午ごろを予定している。
 県立博物館の大銧地駿佑専門学芸員は「長い期間をかけて整理され、中性紙封筒に入れてあるなど、保存状態は良好。保存にあたっては、災害時の対応などで心配な部分はあったと思う。収蔵庫に収められ、今後は千田家文書研究会をはじめとした皆さまと協力しながら目録づくりを進めたい。また、調査研究を進め、展示や教育普及で活用していきたい」と話す。
 千田家の関係者は、式典、報告への参加を希望する人に対し、砂子浜漁港に駐車して訪れるよう呼びかけている。