100年余の伝統、次世代へ 高田町小泉地区の虎舞組 五年祭に向け練習佳境
令和7年10月12日付 7面

19日(日)に陸前高田市高田町で挙行される氷上、天照御祖両神社の合同式年大祭(高田町五年祭)に向け、行列で御先祓を務める小泉地区の小泉虎舞組の練習が佳境を迎えている。100年余りの歴史があり、「次世代に継承したい」と、15年ぶり開催となる今大祭に向けてはその由来も調査。以前の祭りを知らない地元中学生らも虎舞の輪に加わり、同地区の「協力親和」の心を引き継ぐ。(阿部仁志)
5年に1度行われる高田町五年祭は、神輿渡御や大名行列、高い館や武者などの人形を乗せる「風流山車」の運行などが特徴の伝統的な祭事。東日本大震災や新型コロナウイルス禍の影響により、前回実施の平成22年以降は中止が続いていた。
15年ぶりに大祭が行われることを受け、天照御祖神社の行列の御先祓の役を担う小泉虎舞組では、9月上旬から練習が本格化。小泉公民館で週3回、3人一組で動かす虎や采棒振り、太鼓、笛のはやしなど、住民らが震災前の資料と記憶を掘り起こしながら特訓に臨んでいる。
参加者の中には、震災前後に生まれた中学生や小学生、未就学児の姿も。中学生は、本来なら采棒振りから段階を踏んで覚える虎舞に〝飛び級〟で挑戦し、地域の先輩たちから指導を受けながら上達を目指している。
菅野樹良さん(高田第一中3年)は「大祭の存在は以前から知っていたが、本格的に参加するのは今回が初めて。100年もの歴史を伝承していくというのは、地域にとっての誇りを伝承していくことだと思う。自分たちが引き継ぐという意識を持ち、本番では練習以上の成果を出したい」と意気込む。
一時は自然消滅も危惧された五年祭。こうした中、同地区では小泉虎舞を次代に継承すべく、記憶が風化しほとんどの地区民が知らないという虎舞の由来を調べようとしたところ、虎舞の庭元だった同地区の故・岡田安夫氏が残した資料が最近になって見つかった。
この資料によると、小泉の小字・法量には〝権現様〟と呼ばれる「宝龍神社」があり、権現虎舞による小正月の悪魔払いや盆の豊作祈願、先祖供養などが行われていたという。大正10(1921)年には、住民念願の頭を製作。地区のシンボルとなり、岡田氏は「今でも小泉地区の人々の『協力親和』の心に大きな力を与えているといっても過言ではない」とつづっている。
大祭に小泉虎舞が参加し始めたのは、高田町で悪疫が流行した大正末期以降のこと。当時、同町には権現舞が小泉にしかなく、「悪霊退散の厄払いをしてもらいたい」との要請に応える形で先陣の役を担った。
市制施行40周年の平成7年からは、新たに雄雌一対の頭を加えた4頭による虎舞が定着。采棒振りを経験した子どもたちが大きくなって虎舞の役を担うという流れが、現在にも引き継がれている。
小泉虎舞組の山本郁夫組長(64)は「震災以前の形を取り戻すことは一つの目標としてあるが、参加した人たちが楽しみ、次につなげたいと思えるような場をつくることを大事にしたい。祭りが終わったあと、みんなで『良かったね』と言えるよう、残りの準備期間も皆さんと力を合わせる」と見据えていた。
当日は、午前9時に両神社で神輿渡御が出発。同11時には同町館の沖公園で御旅所祭を予定している。