「スポーツは勇気与える」 元女子砲丸投げ国内トップアスリート 90歳の菅野さん(矢作町)が現役時代回顧
令和7年10月14日付 7面

13日は「スポーツの日」。気仙には陸上女子砲丸投げで、かつて国内トップに輝いた元アスリートがいる。陸前高田市矢作町の菅野(旧姓・小泉)トシ子さん(90)だ。菅野さんは昭和31年、33年の日本選手権大会を制し、29~34年の同大会女子砲丸投げで優勝した3人は、いずれも同市出身者という「投てき王国」を築いた。菅野さんは気仙出身の現役アスリートに「スポーツは元気と勇気を与える。頑張ってほしい」とエールを送る。(高橋 信)
国立競技場で開催された陸上の世界選手権(世界陸上)東京大会の男子やり投げに陸前高田市出身の長沼元選手(27)=スズキ=が初出場し、米大リーグではポストシーズンを戦うドジャースで同市出身の佐々木朗希投手(23)が支配的な投球を披露。今秋は気仙出身の「剛腕」アスリートがファンを熱狂させる活躍をみせている中、同様に腕一本で国内外での戦いに挑んだ女子砲丸投げ選手が約70年前、陸前高田にいた。しかも3人も──。
「当時は、全てを砲丸投げにささげた」。
菅野さんが現役の頃のアルバム写真を眺め、懐かしそうにそう話した。気仙町上長部出身で、「勉強よりも体を動かすのが大得意だった」。陸上やバレーボールに打ち込み、当時、女子砲丸投げ日本記録を保持していたという米崎町出身の吉田素子選手(故人)に憧れ、中学校卒業後、市内の専門学校に通いながら練習に明け暮れた。
たちまち頭角を現し、吉田選手と肩を並べる領域に達した。菅野さんの三つ年下、同じ上長部出身で、ローマ五輪の女子砲丸投げに日本人女子として初めて出場した松田靖子選手(故人)も続き、日本選手権は昭和29年から34年まで吉田、菅野、松田の3選手が6連覇。続く35、36年は本県出身で、東京五輪への出場を果たした小保内聖子選手、37年は再び松田選手が優勝し、県勢としては計4人で9連覇という偉業を成し遂げた。
菅野さんは輝かしい成績を残したが、忘れることができない大きな挫折も経験した。20代半ばで臨んだアジア選手権。大会当日の練習では自己ベストを上回る順調な仕上がりをみせたが、本番の試技は3投すべて無効(ファウル)となり、公式記録を出せなかった。
「恥ずかしくて、逃げるように帰った。砲丸投げのことを考えたくなくて、そのままやめた」と現役を退いた。結婚後、競技とは無縁の生活を送ったが、昭和60年、50歳の時に臨んだ東北マスターズ陸上選手権で優勝。元日本一の実力を見せつけた。
米寿を過ぎ、耳は少し遠くなったが、若い頃の練習で培った体の丈夫さは周囲を驚かせる。日課は庭の畑仕事。「おいしい野菜がとれるとうれしくて生きがいになっている。100歳まで元気に暮らしたい」とはつらつと語る。
テレビのスポーツ観戦も好きで、「少しの心の乱れなど、その日のわずかな差が勝敗を決める。そうしたスポーツ選手の気持ちがよく分かる」と話す。陸前高田には長沼選手や、横田町出身の男子砲丸投げ・佐藤征平選手(33)=店舗高値買取センター=ら投てき種目で岩手を代表する選手がおり、「本当に素晴らしい。心から活躍を願っている」と応援している。