〝100年前の父〟と巡り合う 小友在住の黄川田さん ラジオ全国放送開始時の写真で

▲ 山形の実家に残されていた写真を眺める黄川田さん

 日本でラジオ放送が始まってから今年で100年。陸前高田市小友町字西の坊の黄川田龍三郎さん(87)=山形県最上町出身=はこのほど、ラジオで初の全国中継放送を聞いた時に撮影されたとする父の故・坂本東太郎さんの写真を親族から受け取った。山形の実家で暮らした幼い頃の記憶がよみがえり、時代の移り変わりも感じながら、当時に思いをはせている。(阿部仁志)

 

ラジオで初の全国中継放送を聞いている場面と思われる、当時20歳の坂本さん

 モノクロの写真(別掲)に写る、若かりし頃の坂本さん。同県新庄市出身で、写真は「(坂本さんが)20歳の頃、最上町に住む以前に撮られたもの」という。両耳にヘッドホンを当て、背後にある複数のダイヤルがついた受信機からラジオを聞いている様子がうかがえる。
 東京放送局が日本で最初のラジオ放送を開始したのが大正14年3月。その翌年に日本放送協会が発足し、宮城県仙台市を含む全国各地に放送局を新設のうえ全国中継放送を行ったのが、昭和3年とされる。
 坂本さんは明治41年4月生まれで、昭和3年は20歳になる年。写真の撮影時期と重なり、黄川田さんは、家族から聞いた話も踏まえて「全国中継放送が行われた日に撮られた写真だと思われる」と語る。
 撮影年の10年後、温泉でにぎわった最上町瀬見地域に生まれた黄川田さんは、太平洋戦争勃発後に県外から湯治で訪れる兵隊らを見ながら育った。ラジオや蓄音機、時計、楽器などの修理屋として働いていた父も徴兵されたが、無事に帰還できたという。
 黄川田さんは「父は、物を分解しては組み立てたり、直すのが好きだった。ラジオも、仙台に通いながら部品を集めて自作したと母から聞いている。私が小学生ぐらいの頃、コイルの巻き方やスピーカーの作り方などを教えられ、難しいことはよく分からなかったが、父がやっていたことは見ていて楽しかった。肩車されながらお風呂に入ったこともあった」と温かな思い出に浸る。
 昭和27年に坂本さんが亡くなったあと、陸前高田市に移住。30年の市制発足当時のまちの活気や、チリ地震津波、東日本大震災、まちづくりに関わる市民運動など、同市での半世紀余りの出来事も懐かしむ。
 今年4月、山形の実家が売却され、残されていた十数枚の写真が黄川田さんの元に送られた。この中に今回の坂本さんの写真もあり、黄川田さんは「バイオリンを弾いた父や、歌が好きだった母に育てられ、ハーモニカを吹いた私たちきょうだいは今、昭和100年とラジオ放送開始から100年の年にいる」と、感慨深げに眺める。