未曽有の災害 経験を胸に 「二十歳のつどい」復興誓う 東日本大震災14年10カ月 林野火災への思いも

▲ リハーサルに臨む平子さん㊥と村上さん㊨=大船渡市

 東日本大震災の発生から14年10カ月となる11日、気仙3市町で「二十歳のつどい」が開催される。大きく、長い揺れが突然襲い、大津波が押し寄せた「あの日」の記憶を持ち続けて成長し、コロナ禍や大船渡市大規模林野火災の影響に直面しながらも、節目を迎えた。未曽有の災害で被災した同市の実行委メンバーらは、友との再会に期待を膨らませながら、住み慣れた古里の復興への貢献を誓う。(佐藤 壮、高橋 信)


 大船渡市の会場となる盛町のリアスホールで10日、対象者で構成する二十歳のつどい実行委員会メンバーがリハーサルに臨んだ。進行や立ち位置の確認では緊張した表情を見せながらも、ともに節目を祝う日を心待ちにしてきた様子もうかがえた。
 「東日本大震災や、林野火災の恐ろしさを知っている世代。そういった思いも、あいさつに込めたい」
 つどい当日に「二十歳の誓い」を述べる平子千寛さん(20)=太平洋セメント㈱大船渡工場勤務=は、こう語る。昨年2月26日発生の大規模林野火災では、赤崎町外口の自宅が被災した。
 出火の同日午後は、工場内で勤務中だった。風向きや延焼拡大の状況を受け、上司に「逃げる準備をした方がいい」と言われ、自宅に戻った。必要最小限の物資と、大船渡東高の卒業アルバムなどを車に入れ、家を出ようとした時に、外口地域にも避難指示が出た。
 外口地域は、発生6日目の3月3日に、多くの建物に火の手が及んだ。日常生活は大きく様変わりしたが、実行委員会に入った。
 「被災はしたけれども、自分は大切な思い出の品を持ち出すことができたから、ショックは小さい方だと思う。高校時代は楽しかったから、クラス全員の寄せ書きもあったアルバムが残ったのは良かった」と語る。
 本年度の対象は、平成17年4月2日~18年4月1日生まれで、震災当時は保育園・幼稚園の年中児だった世代。当時、蛸ノ浦保育園で、おやつの時間に机の下に入り、園庭に避難した記憶は鮮明に残っている。
 平子さんは、震災で校舎が全壊し、高台に再建した後、令和3年3月に閉校した赤崎中として最後の卒業生でもある。地元で成長し、今も働き続ける一人として、古里のさらなる復興への思いは強い。
 厳しい時期もあった分、温かく見守ってくれた周囲への感謝と、仲間への気づかいを忘れない。「来る人たちの中には震災や林野火災での心の傷がまだ癒えていない人もいると思う。このつどいで、少しでも楽しい思い出をつくってもらえれば」と話す。
 同じく誓いの言葉を述べる末崎中出身の村上雅弥さん(20)=㈱カナモト釜石営業所勤務=は、震災で末崎町の自宅が被災した。つどい当日に読み上げる言葉には、被災という厳しい環境の中で受けてきた支えや、決して当たり前ではない日常の尊さへの思いを盛り込むことにしている。
 本番に向けて「小さい時に震災があって、地域の人たちに助けてもらった。晴れ舞台で、少しでも恩返しになれば」と力を込める。

会場設営などに当たる実行委メンバーや関係者=陸前高田市

 一方、陸前高田市では同日、つどいを共催する実行委のメンバー約10人が、会場となる高田町の奇跡の一本松ホールで舞台看板を作成した。その後は式典のリハーサルに臨み、一連の動きを確かめた。
 副実行委員長で、高田第一中出身の紀室嵐さん(20)=㈱三栄工業所勤務=は「人生で一度しかない行事。普段なかなか会えない同級生と再会できるのが楽しみだし、みんなに楽しんでもらえるよう式典の運営を頑張りたい」と意気込む。
 14年10カ月前のあの日、大船渡市大船渡町の大船渡保育園児だったが、ただならぬ揺れはしっかり覚えている。「ちょうど昼寝の時間帯で、寝付けなくて寝たふりをしていた。そのあと大きな地震があって驚いた」と振り返る。
 高田第一中時代はバスケットボールに打ち込み、「まちなか広場にバスケットコートがあり、ありがたい遊び場だった。人口は減っているかもしれないが、大きなイベントの時だけではなくて、人でにぎわうまちになってほしい」と願いを込める。


 

 大船渡市の「二十歳のつどい」は、午後2時からリアスホールで開催し、対象は294人。陸前高田市は、午前10時から奇跡の一本松ホールで開かれ、対象は昨年11月末時点で145人。住田町では町役場町民ホールを会場に午後2時開会で、対象者は48人。対象者の家族も観覧できる。