インタビュー気仙2026③/音楽で地域を盛り上げる ケセンロックフェスティバル(KRF)実行委員長・千葉裕昭さん(56)
令和8年1月25日付 7面
──平成21年に種山ヶ原で初開催し、今では全国的な知名度を得ているKRF。令和6年に新実行委員長に就任した。〝大役〟を務めた所感は。
千葉 平成21年の時から副実行委員長を務めてきたが、責任がやはり違う。副実行委員長の時は、主に会場のレイアウトや設営などを任されてきたが、そこに関係機関へのあいさつ回りなど代表としての仕事が加わった。実行委員会の会議でも、いろんな意見が出る中で最終的に実行委員長の判断で決定となるので、重みを実感している。
──KRFの前身として、平成20年に大船渡市で「OFUNATO ROCK FESTIVAL」が開催された。KRFはコロナ禍などでの休止を経て、一昨年、昨年と〝原点の地〟で復活した。手応えは。
千葉 一昨年は5年ぶりの開催だった。実行委にも新しい人が入ってきた中で、「勘」を取り戻す意味でも1日開催で実施し、昨年は2日開催で完全復活した。
「OFUNATO ROCK FESTIVAL」を振り返ると、お客さんが前日から宿泊したり、市内のお店を利用したりと、まちに「還元」できていた。まちの活性化というのが原点なので、「初心に返ってもう一度大船渡で」というのは、みんな同じ思いだった。まちに誇りを持って、古里を盛り上げていくためにも、大船渡で開催することには大きな意味がある。感触として、会場周辺の飲食店が前日から満席だったり、ホテルも埋まったりと、波及効果がみられた。
お客さんからも「またやってほしい」と声をかけてもらっている。始まった当初に来ていたお客さんが親になって、その子どもも興味を持ってくれて、世代を超えた広がりもみられる。
──音楽を通じた復興支援への思いは。
千葉 復興支援のブースはずっと設けてきた。東日本大震災だけでなく、熊本や能登で災害が発生した時にも募金を呼びかけたり、グッズの売り上げを支援に回したりということを続けてきた。
KRFと災害は切っても切れない関係。災害について発信していかなければいけないし、災害で困っている人たちがいるならば、いろんな形で復興支援につなげていきたい。そうした中で「音楽のつながり」は強み。アーティストも災害にはすごく敏感で、震災の時もギター1本持ってきて歌ったりしてくれた。震災が契機で大船渡にライブハウスもできた。
大船渡で林野火災が発生した時もすぐにアーティストから連絡がきたし、直接、市に義援金を持って行ったバンドもいる。全国各地で林野火災が発生したが、音楽を通じた動きは、大船渡が顕著だった。それは今までのつながりがあったから。音楽の力、つながりの力はすごく大きい。
──地方でロックフェスを開催する意義とは。
千葉 やっぱり、地元を盛り上げること。
「盆にも正月にも帰ってこなかった息子が、ライブがあるから帰ってきたよ」といったような話が多方面から聞こえてきて、これは素晴らしいことなのではないかと感じた。「地元を盛り上げるってこういうことだよね」と実行委員会内でも話している。「帰ってこなかった人が帰ってくるって、地元が盛り上がってるよね」と。お客さんだった人が実行委に加わったりもする。自分たちが盛り上がらないとお客さんも盛り上がらない。じゃあ、そのためにどうするのか、という話が出てくる。
みんな好きだからやっているし、KRFが、日々のモチベーションになっている面もある。
──今後の構想は。
千葉 地元で頑張っているアーティストも少なからずいる。(大船渡市出身者らで活動する)「FUNNY THINK」みたいに全国展開するぐらいのバンドに成長してもらい、地元だけで満足せず、地元を出てもらうことで大船渡、陸前高田、住田を発信していけるのではないか。そういったバンドが増えて、KRFに出演できるようになればいいなとイメージしている。
あとは、次の世代にKRFがつながっていってほしい。勢いのある若手が出てきてくれれば。(聞き手・清水辰彦)






