「被災地の力になりたい」 高田病院で勤務 総合診療医・小原さん きょう震災発生14年11カ月

▲ 医療クラーク(医師事務作業補助者)と笑顔で話す小原さん㊨

 陸前高田市高田町の県立高田病院(阿部啓二院長)内科医の小原ゆき子さんは、東日本大震災時の医療支援をきっかけに、県医療局の医師に転身した。総合診療医として首都圏などの医療現場で働いてきたが、医療資源がしぼむ東北被災地への強い思いから、本年度、同院に常勤医として着任した。きょう11日で、震災発生から14年11カ月。「地方こそ総合医が必要。行政や地域との連携、支え合いの力になりたい」との使命感を持つ。(高橋 信)

 

 「この地域をよくするために、皆さんと一緒に考える医療者でありたい」。
 昨年11月、気仙町の今泉地区コミュニティセンターで開かれた「地区健康まつり」(市健康づくり推進協議会など主催)で講演した小原さんが、市民ら約30人を前にそう語った。
 幼いときに獣医師に憧れたのが、小原さんが医師を目指すきっかけ。あらゆる患者の健康問題に向き合う総合診療医の道に進み、大学卒業後の6年間、都内の病院や地方の診療所、地域病院で経験を積んだ。
 東日本大震災の発生は、結婚と出産のため最前線の医療現場から一度離れ、仕事と家庭をいかに両立させていくか考えていた矢先のことだった。都内で買い物していた時に大きな揺れに遭い、テレビで東北沿岸の惨状を知った。
 父の仕事の都合で、国内を転々としてきた小原さん。小学生のころ宮城県多賀城市で暮らしたことがあり、父の実家がある北上市には年に1度は家族で訪れた。そんななじみの東北が津波に襲われ、「力にならねば」との思いを募らせた。当時、子どもは1歳だったが、都内に住む夫や両親からも背中を押され、発災2カ月後の平成23年5月、単身で被災地入りした。
 宮城県気仙沼市の医療チームに入り、半年間、震災で被災しながらも通院が困難な在宅患者の訪問診療に当たった。拠点の一関市から毎日通う激務だったが、「今こそ総合医としての力を発揮すべき時」と被災者と向き合ってきた。
 活動を終え、都内の医療機関に復帰したあとも、被災地の状況が気にかかった。第2子が生まれ、仕事と子育てに追われたが、「いつかまた東北に」と思い続けた。
 令和2年度、県医療局所属の医師となり、東京から通う形で月2回、奥州市の県立江刺病院で勤務。5年度からは同じスタイルで高田病院で働き、本年度、単身赴任し、本腰を入れて同院で診療に当たっている。
 診療時に心がけるのは「傾聴」。「震災が生活を変え、健康状態にも影響を与えている。病気は同じだったとしても、一人一人の背景は異なる」と、多角的に診る重要性を語る。丁寧に耳を傾けてくれる姿勢は、患者からも「震災当時の話を聞いてくれて先生のような人に出会えて良かった」と評判だ。
 人口減、高齢化が進行し、「医療資源が減り続け、食い止めないと医療が崩壊する」と警鐘を鳴らす小原さん。「そのためにも多職種連携、支え合いが大切。非常時のみならず、平時からのつながりが人や地域を救い、そうして支え合う魅力的なまちは、医療の安定にもつながる」と強調する。
 来月で「あの日」から15年。「今だから震災の経験を話せるという人もおり、寄り添っていきたい。高田病院での診療に軸足を置きつつ、そのうえで地域とも関わっていきたい」と決意する。