無念さは今も消えずに 大規模林野火災きょう1年 様変わりした古里 さまざまな思い(別写真あり)

▲ かつて実家があった場所に立つ柴田修幸さん。周囲の木々は幹が黒く、火災の恐ろしさを伝える=三陸町綾里

 大船渡市大規模林野火災の発生から、26日で1年を迎える。赤崎町で出火し、瞬く間に綾里地区の広範囲に火の手が及び、10日以上にわたり避難指示が出され、延焼を続けた恐怖と不安は、今も記憶に新しい。被災した建物は公費解体で撤去されて住宅地の多くが更地と化し、周囲の木々は黒く焦げたまま立ち続け、地域住民がなりわいとしていた古里は様変わりした。無念さ、悲しみ、明日への希望──。人々はさまざまな思いを胸に、365日を過ごした。住宅再建や山林再生、地域コミュニティーの維持などに向けて多くの課題を抱える中、復旧・復興への道のりは遠く、息の長い施策と支援が必要となる。(4、5面に特集)


 三陸町綾里の旧綾里中学校グラウンドに整備された木造仮設住宅に暮らす柴田修幸さん(64)は今月中旬、小路地域にある全焼した実家跡を訪れた。一緒に暮らしていた当時90歳の父・𠮷郎さんは1年前、実家から県道につながる道ばたで遺体で見つかった。
 修幸さんは、住宅の公費解体を終えてから初めて、足を運んだ。県道から小道に入ると、焼け焦げた大木が倒れ、行く手をふさいだ。横たわる幹を乗り越えた先には、更地となった住宅跡が広がっていた。
 火災前、𠮷郎さんが日常の多くを過ごしていた居間があった場所に立ち、修幸さんは周囲を見渡した。「まだ、昨日のことのように思い出される。1年は早いな。寂しいといえば寂しいな」と、静かにつぶやいた。
 住宅があった場所の周囲に伸びる木々全ての幹が黒く、激しい延焼の爪痕が、今も残る。枝葉が落ちた間からは、𠮷郎さんが漁や養殖にいそしんでいた綾里湾が見える。海とともに、生活を営んできた。
 修幸さんは北海道根室市に自宅があるが、夏~秋は大型サンマ船に乗り、冬~春にかけては大船渡市内の建設会社に勤務し、𠮷郎さん宅から現場に通っていた。2月26日の出火当日も、市内の現場で作業に従事し、火災を知って𠮷郎さんがいる実家に向かおうとしたが、通行規制が敷かれ、小路にはたどり着けなかった。
 𠮷郎さんは出火の翌日、見つかった。近年は足腰が弱り、外出しても玄関先程度にとどまっていたという。修幸さんは「県道に出るには、一本の道しかない。おやじもきつかったと思う。杖を持って逃げたか…。それを考えると、かわいそうで」と話す。
 もし、出火した日が自分の休日ならば、一緒に逃げられたかもしれない。自分が家にいる時間だったら──そう思う日もあった。「近くにいれば何かできるんじゃないかと思って、実家に帰ってきた。いざ、大事な時におやじのそばにいられなかった。助けることができなかった。今でも、涙が出てきそうになる」と、無念さを語る。
 火災直後は、車で県道を通るのもつらかった。一方で、月日がたつにつれて「おやじは『危ないから来るな』という思いがあったのかもしれない。もし、自分が行ったら、巻き込まれていたかもしれない」と思うようになった。
 実家跡に住宅を再建する予定はない。周囲の木々は、市の森林災害復旧事業を活用し、伐採・再造林を希望している。多くの思い出が詰まった場所は、これからも変化を続ける。それでも修幸さんは「何かが始まるわけでも、終わるわけでもない。何も変わらない。亡くなったのは、無念でしかない」と話す。
 火災前の日常は、男同士の生活でもあり、言葉を交わす時間は少なかった。今となれば、一緒に出掛けたり、孫に会わせる時間をつくりたかったと、後悔の思いも込み上げる。
 今月15日に、一周忌を済ませた。𠮷郎さんの立日であるきょう26日に、修幸さんは小路地域の高台にある墓を訪れることにしている。実家の周辺と、綾里の海を見下ろせる場で、静かに心を寄せ、父への思いを改めて胸に刻む。(佐藤壮)

 

深い爪痕 尽きぬ課題

 

 大規模林野火災の消防覚知時刻は、昨年2月26日午後1時2分。降水量が少なく林野内の可燃物が乾燥していた状況下で、赤崎町・合足漁港付近の火点から局地的な強風やリアス海岸の複雑な地形も影響して延焼が広がった。
 避難指示は、三陸町綾里の全域と赤崎町の蛸ノ浦地区、中赤崎地域に加え、三陸町越喜来の甫嶺地域にも及び、1896世帯4596人に出された。各地の公共施設に避難所が設けられ、ピークとなった3月6日には1249人が利用。親戚宅などの滞在も同日で3000人を超えた。
 延焼範囲は市内面積の10%超にあたる3370㌶と、平成以降で国内最大規模の災害となった。建物被害は226棟(全壊175棟)で、このうち住家90棟(同54棟)、非住家136棟(同121棟)。農業、林業、水産業、商工・観光業、テレビ共聴施設などを含めた被害額合計は102億1122万円に上る。
 鎮圧宣言は出火から12日目の3月9日で、全域での避難解除は翌10日。4月7日に鎮火宣言が出された。地元消防機関や消防団のみならず、県内相互応援隊や県外の緊急消防援助隊、自衛隊、警察などが懸命の活動を展開した。
 仮設住宅の建設戸数は蛸ノ浦が7戸で、綾里が26戸。入居戸数は蛸ノ浦が7戸、綾里が19戸で5月に入居が始まった。これとは別に、既存の公営住宅や、民間賃貸アパートをはじめとした「みなし仮設」の利用もある。
 被災した建物を対象とした公費解体は222棟全てが完了。災害廃棄物の処理量は9319㌧に達した。
 今後は被災した森林の伐採、再造林に向けた事業が本格化するほか、被災者の住宅再建をはじめ被災跡地の利活用をどう進めるかも課題。被害を受けた産業分野の復旧・復興に向けた後押しや、地域コミュニティーの維持など課題は尽きない。