大震災15年/History3.11 あの日から④ かつての町内会の思いつなぐ なかまち「絆」の会 仲町虎舞部
令和8年3月10日付 1面
小気味よい太鼓や笛のはやしに乗って、鮮やかな黄色の虎が巨体を勢いよくしならせながら舞い歩く──今年1月11日、陸前高田市気仙町今泉地区に伝わる芸能「仲町虎舞」が、15年ぶりに地元で小正月の悪魔払いを行った。東日本大震災で江戸や明治の歴史薫るかつての今泉の街並みが失われ、使う道具や踊り手も様変わりしたが、継承を続ける旧仲町住民の心を宿した力強い舞が市内外からの見物客らに活気を与え、笑顔を誘った。
あす、11日には、津波で流された仲町公民館跡地付近のかさ上げ地に立つ慰霊碑「鎮魂の碑」前で演舞を行い、碑に刻まれた犠牲者24人の冥福を祈る。深い悲しみから立ち上がり、新たな人との出会いも支えに歩んできた地区民の象徴たる虎。「これからも大切な絆を忘れまい」と、住民らの思いを未来につなぐ。
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仲町虎舞は、昭和30年の市制施行時、祝賀会の出し物として披露されたのがはじまり。釜石市の平田地区から習い、授かったものとされる。
その後、踊られなくなる期間があったが、昭和55年に復活し、旧仲町町内会の青年部が継承。釜石に多く見られる虎舞の演目「矢車」「跳虎」「笹ばみ」をイベントや祝いの席で披露してきたほか、小正月には多世代が悪魔払いで地域を練り歩く、まちの風物詩として多くの人に親しまれていた。
人々の日常を奪った、平成23年3月11日の大津波。壊滅的被害を受けた今泉では、芸能で使う道具が保管されていた公民館が破壊され、仲町地域は約30の全戸が被災、約3割の住民が犠牲となった。残された住民はその後、散り散りとなり、町内会も解散に追いやられた。
元仲町住民で構成するなかまち「絆」の会(以下、絆の会)の会長・岩渕達夫さん(72)=竹駒町=は、津波で妻を亡くし、当時24歳だった次女は、今も行方不明。「みんな、それぞれのことでいっぱい。虎舞を考える余裕はなかった」と震災直後を振り返る。
そんな混乱のさなか、がれきの中から、小さいサイズの〝子虎〟の頭が奇跡的に発見された。仲町虎舞発祥の経緯を知る釜石市の芸能団体からは、虎頭を一つ譲られる支援もあった。
新たな虎頭を前に、絆の会の小林一人さん(67)=同町=は「がれきの中から、大きい方ではなく、小さな子どもの方の虎頭が見つかったことに、特別な意味を感じた。子虎に『みんな家族をなくしたけど、これからだよ、頑張ろう』って言われているような気がした」──と、力をもらったという。
少しずつ、「残った人たちで虎舞をやろう」という機運が高まり、絆の会は24年10月、旧高田小学校体育館で開かれた「青年芸能祭」(市青年団体協議会主催)に出演。他地区の衣装や道具を借りながらではあったが、震災後初となる虎舞披露となり、喜びの中に、確かな〝仲町の絆〟を感じ取った。
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平成28年には、複数の機関から助成を受け、自前の道具をそろえることができた。竹駒地区コミュニティセンターで「お披露目会」を実施し、絆の会の「仲町虎舞部」を設立。青年芸能祭をはじめ各地のイベント、祝いの席の余興など、出演機会が増えていった。
そして今年1月、仲町虎舞は震災後初めて、今泉地区を練り歩く小正月の悪魔払いを挙行。コミュニティセンターを出発し、昨年復旧した旧吉田家住宅主屋や、震災後に生まれた商業施設のカモシーなどを回った。
「やって良かった」。同主屋での虎舞披露のあと、岩渕さんの声は明るかった。「はじめは、見に来る人たちからどういう反応をもらえるか分からず不安もあったが、多くの人に喜んでもらえた。これを機に、来年以降も継続していければ」──。よみがえった小正月の風物詩が、これからも仲町の記憶と心をつなぎとめる。(阿部仁志)=7面に続く=





