大震災15年/History3.11 あの日から⑥ コロナ禍で決意「小さくても続ける」 ライトアップニッポン実行委員長 中野圭さん
令和8年3月15日付 1面
東日本大震災犠牲者の鎮魂を目的に、平成23年8月11日に被災各地で始まった花火イベント「LIGHT UP NIPPON(ライトアップニッポン)」。気仙では現在、大船渡市三陸町越喜来で毎年同日に開かれており、地元の中野圭さん(39)が越喜来開催の実行委員長を務める。当初は令和2年の第10回で区切りとする予定も、コロナ禍の中での開催を機に一転、中野さんは「小さくても続けていく」という決意を固めた。
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一般社団法人LIGHT UP NIPPON(東京都)が立ち上げた同イベントは、月命日にあたる平成23年8月11日に越喜来を含む被災地各所で初開催。花火を打ち上げ、鎮魂や復興への祈りがささげられてきた。
22年に、東京で起業を果たしたばかりだった中野さん。23年3月11日に震災の発生を知ると、その翌日から大船渡と東京を往復する日々が続いた。
「今年は無理だろうけど、地元で花火ができたらいいな」と、当時の日記に書き残した。中野さんにとって花火大会は決して特別なものではなく、子どもの頃から当たり前のようにある日常の一つだった。
「地元のために何かしたい」と思いを募らせる中、青年会議所とつながりのある地元住民と知り合い、持ちかけられた企画がライトアップニッポンだった。
自らのやりたいことと一致する企画を見つけた中野さんは、地元有志で実行委をつくり委員長に就任。東京にいる間は同法人の代表と折衝し、越喜来では盆の恒例行事「三陸港まつり」の関係者からも話を聞き、ゼロからイベントを立ち上げる準備を進めた。
そして同年8月11日、第1回のイベントを開催。がれきが残る街中に花火が打ち上がった。さらに14日には、一連の企画としてライブイベント「オキライサマー」も開催。ライトアップニッポンと合わせ、現在まで続く夏の行事となった。
しかし、当時中野さんが抱いたのは、必ずしも達成感だけではなかった。
「もっと自分にやれることがあったはずでは」――。東京にいながら地元のため活動することに限界を感じた中野さんは、第1回の開催後すぐにUターンを決意。同年9月には越喜来に戻ってきた。
その後は、全国各地からの応援や著名人の参加といった支援も受けながら、2回、3回と回数を重ねた。平成29年には、資金調達を目的にクラウドファンディングのサイトを立ち上げる。令和元年には400人余りの支援があり、目標額にも達した。このほか、オキライサマーのロゴを入れたシャツも販売し、売り上げを運営費に充ててきた。
当初、10年間継続することを目標に全国で始まった同イベント。中野さん自身も、本来は令和2年の第10回をラストイヤーとする予定だったが、同年にコロナ禍が発生した。
同年のクラウドファンディングは、中止せざるを得なかった。中野さんは「考えてもいなかったことが起きた。〝人を集める〟という今までの目的から一転して、それが駄目という事態になった」と、当時のもどかしさを語る。
その状況でも有志の寄付があり、用意できた花火は開催回数に合わせた10発分と、同じ打撃を受けた花火の仕入れ先が身を切って提供してくれたフィナーレ用の花火。無観客開催の様子をインターネットで配信し、鎮魂の気持ちを共有した。
コロナ禍にあっても、開催にはこぎつけられた。それでも、中野さんの胸中にあったのは「これで終わるのか?」という気持ちだった。
楽しみにしてくれる子どもや住民、現地に来られなくても越喜来を思い出してくれる人がいるのなら、イベントはあった方がいい。中野さんは当初の予定を変更し、実行委と11回目の開催に踏み切った。
(齊藤 拓)
=7面に続く=






