大震災15年/History3.11 あの日から⑨ 「助かる人を増やしたい」 大船渡地区消防組合・橋本 陸さん

▲ 大船渡地区消防組合に勤務する橋本さん

 大船渡市大船渡町の橋本陸さん(28)は平成31年、高校時代から目指し続けてきた救急救命士の夢をかなえ、現在は大船渡地区消防組合に勤務している。震災に遭い「人を助けたくても助けられない」という状況に直面した中学校時代と、祖母を病で亡くした高校時代。そして夢に向かって行動した日々と、この15年でさまざまな局面を経験した。

 

 

 平成23年3月11日、橋本さんは大船渡中学校の1年生だった。自宅は津波の被害を受けず、家族も無事だった。
 それでも「街が大きな被害を受けているのに、ただ家にいるのはもどかしい」と子ども心に思った橋本さんは、避難所になっていた母校・大船渡北小学校を単身で訪ね、物資の運搬や避難者の安否確認対応といったボランティアを約1カ月続けた。
 一方で、震災当日は過酷な現実も目の当たりにしていた。橋本さんはその日、深夜まで大船渡中に避難しており、校内には住民らも避難してきた。そこで見たのは、津波で体がぬれた状態で避難した住民が、冷え込んだ気温が追い打ちとなって低体温症に陥る様子だった。
 「専門的な知識もなく、助けてあげたくても何をすればいいのか分からない」というあの日の体験が、現在の仕事に進むきっかけの一つだった。 
 三陸鉄道が好きで、もともとの夢は鉄道マンだった橋本さん。機械整備などを学ぼうと進学先は大船渡東高校機械科を選んだ。ところが、程なくして祖母が自宅で病に倒れる。橋本さんが心臓マッサージを施しながら救急車を待ったものの、祖母は亡くなった。
 震災によって「身近なところで誰かが倒れた時に助けられるようになりたい」という気持ちが強まっていた中、祖母の死が大きな転機になる。橋本さんの夢は、救急救命士に変わっていった。
 その後の高校生活は、学習の中で実用的な資格も身に付けながら、夢への道を模索した。心肺蘇生法などを習得できる場を自ら探し、2年生の時には大船渡町で防災訓練も主催。活動の中で知り合った救急救命士の力も借りて、応急処置の方法を住民らと学んだ。
 卒業後は、救急救命士を養成する目的で設立された弘前医療福祉大学短期大学部(青森県)の救急救命学科に進学。本格的に学びを深めるだけでなく、弘前市消防団にも入団し、市外出身の大学生という異例の存在ながら、地元住民と協力して火災対応などにあたった。
 一方で、震災を語り継ぐ役目もいとわなかった。大学生時代には、東京都の防災訓練で震災当時の経験について講演した。そして現在は、大船渡市のキャッセン大船渡エリアで展開されている防災観光アドベンチャー「あの日」を体験する気仙地域外の生徒らへ向けた語り部も務める。その際に伝えるのは、自分の身を守る「セルフレスキュー」の大切さだ。
 橋本さんの防災に対する考えは、決して震災当時から一貫したものではなかった。「中学生の時は、ハード面を整備して絶対に津波が来ないようにしてほしいと思った」と回想する。
 しかし、消防士としての職務経験が考えに変化をもたらしていた。「人が作るものは、機能を発揮できなかったり思わぬ力で崩壊するリスクもある。まずは避難しなければいけない」──。防災の現場に携わった経験はむしろ、ハード面よりもソフト面の防災へと橋本さんを導いた。
 そして何よりの原動力はやはり、亡くなった祖母だ。橋本さんは、祖母が倒れた日を振り返り「もっと早く気づけたのではないかという後悔がある。みんなにもそういうことが起こりうると伝えていきたいし、同じ思いをしてほしくない」と吐露した。
 突如として人を襲うという点においては、災害も病も変わらない。いずれにしても、橋本さんの願いは「その時、助かる人を増やす」ことにつながっている。(齊藤 拓)=7面に続く=