伝承者たちの15年/〝あの日〟から現在、未来へ vol.3 植樹に未来の防災・減災を託す 認定NPO法人桜ライン311代表理事・岡本翔馬さん(43)
令和8年4月9日付 7面
「一番教訓を伝えたいのは、次の世代」
「私たちは、悔しいんです」
認定NPO法人桜ライン311のホームページに記された一文。東日本大震災が起きた1000年前にも、同規模の津波が三陸沿岸を襲った──。そんな歴史を知り、「過去の教訓が正しく伝わっていたら、救えた命があったのではないか」と悔やんだ陸前高田市内の若者たちの思いが、この一文に込められている。岡本さんもそんな思いを抱き、平成23年10月の同法人設立から活動に携わる一人だ。
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岡本さんは高田町出身。震災発生当時は、東京都内で仕事をしていた。発災の翌日には岡本さんら都内在住の陸前高田市出身者が集まり、「ふるさとをバックアップできないか」と任意団体・SAVE TAKATA(セーブタカタ、現・一般社団法人トナリノ)を立ち上げた。
岡本さんは、支援に必要な情報収集などを目的に、発災から4日目に故郷に戻った。市内の状況や家族の安否を確認すると、高田一中避難所で10日間のボランティアを行った。5月に会社を退職してUターンし、団体の現地ディレクターとして避難所を訪れるボランティアらのコーディネートや、仮設住宅のコミュニティー形成支援などに当たった。
〝あの日〟が、岡本さんの人生を大きく変えた。「震災がなければ、陸前高田に帰ってきていないと思う。大きなタイミングだった」と述懐する。
桜ラインは、発災から7カ月余りが経過したころ、全国の企業・団体の協力を受け、市青年団体協議会、難民支援協会、SAVE TAKATAの3団体で設立した。岡本さんは、団体のNPO法人化に向けた支援を担う形で副代表に就いた。
震災による津波の到達点をサクラの木でつなぎ、後世にその事実を伝えよう──これが桜ラインの活動。津波到達点を結ぶ約170㌔のライン上に、サクラ1万7000本を植える目標を掲げた。
発足の翌月、高田町の浄土寺など市内19カ所で初回の植樹会を開き、県内外のボランティアらによってサクラの木35本が植えられた。その後も、毎年春と秋に植樹会を開催し、サクラを植え続けた。令和7年12月末時点で、延べ1万503人が2420本のサクラを植え、植樹距離は33㌔となった。春には植樹地のサクラが見頃を迎え、津波が到達した場所、高台避難などの教訓を伝えている。
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岡本さんは平成25年に代表理事に就き、団体の運営はもちろん、講演会の講師も引き受け、全国各地で伝承活動に当たっている。
津波到達地点にサクラを植える活動は発足時から一貫している一方、これまでにはさまざまな変化があった。植樹会には当初、東北以外からの参加者が多かったものの、徐々に県内からも増加。企業の参加も増え、復興支援から社会貢献活動に目的を変えて継続しているところも多いという。
近年は、子どもたちに向けた活動にも注力している。震災後に生まれ、〝あの日〟を知らない子どもたちが増えている中で、特に気仙の児童・生徒に経験してほしいとの思いがある。陸前高田市内では昨年秋、全8小学校が植樹会に参加し、中学校ではせん定したサクラの枝を使った草木染を体験した。
「震災の教訓を伝えたい対象の一番は、次世代、次のまちに住む人たち。震災以降生まれの子が増えているので、全員に活動に触れてほしい」と岡本さん。講演では大規模災害時に自らの行動が家族の命を左右する可能性を示し、〝自分は助かったけれど、家族を守れなかった〟という後悔をしないためにどうしたらいいかを考え、防災・減災を自分ごととして捉えてもらう内容にしているという。
桜ラインも10月には発足15年を迎えるが、活動の継続には課題も山積する。年々、植樹地の確保は困難になってきており、成長するサクラの管理、人手や運営資金の確保など、悩みは尽きない。「寄付金を基本に事業をしているため、今後は震災ではなく、どう防災・減災というテーマで資金が集まるような団体になり続けていくかが大切」とし、これまでの成果や評価を公表する機会を設け、寄付者の掘り起こしなどにも取り組む考えだ。
そして、「『自然災害で亡くなる人がゼロに近づいていく社会をつくりたい』というのが団体のビジョン。サクラの植樹など行っていることは一緒だが、変化する周りが共感しやすい形をどうつくっていくかを考えなければならない」と、これからを見据える。(三浦佳恵)






