亡き父と同じ市職員に 古里で決意の一歩 栄養士の石川さん 「お父さん、頑張ります」

▲ 「まちのために、職場のために早く仕事を覚えて頑張りたい」と語る石川さん

 陸前高田市小友町の石川結香さん(22)は今春大学を卒業し、市職員となった。東日本大震災で亡くなった父・忠弘さん(享年50)と同じ仕事を選んだ。震災発生から11日で15年1カ月。栄養士として勤務し、「健康的な食生活の重要性を普及できるような職員になりたい」と古里で決意の一歩を踏み出した。(高橋 信)

 

きょう震災発生15年1カ月

 

 あの日の記憶はおぼろげだ。当時は小学1年生。友達と学校から帰っている時に地震に遭い、民家の屋根瓦が落ちてきて驚いた。
 母・和歌子さん(61)らと避難する途中に、海側から黒い壁のような津波が押し寄せてくるのを見た。高台から見下ろしたとき、まちが海水に浸っていて「海ができている」と、被害の甚大さに理解が追いつかなかった。
 忠弘さんとも突然会えなくなり、「どうして」と不思議に思った。和歌子さんや兄、姉が悲しむ姿をそばで見てきた。
 優しかった父。怒られた記憶はない。「高田松原だったか、家の近くのグラウンドだったか」。場所は定かでないが、補助輪なしの自転車に乗る練習に、忠弘さんが付きっきりだったことは覚えている。毎週土曜日の保育所の送り迎えは、仕事が休みの忠弘さんがいつもしてくれた。
 同級生らが父親と話している光景などを見ると、「今もお父さんがいたら、どうだったんだろう」と思うこともあった。「震災さえなければ」。ぶつけようのない悲しみは残った一方で、一家だんらん時、ふと忠弘さんの話が出ると、楽しい思い出話のことが多く、父がいた頃の日々を家族で確かめながら、心の帳尻を合わせてきた。
 大船渡高卒業後、都内の大学で栄養学を学んだ。栄養士を志すきっかけは、バスケットボールに打ち込んだ中学生時代に貧血に陥り、スポーツ栄養学に関心を持った体験からだった。
 管理栄養士の資格も取得し、多くの友達が残る関東圏で働く道も考えた。しかし「献立を考えたり、地域の食育に携わりたい」という自身の思い描いた働き方を見つめた時に、最も魅力的に感じたのが市職員の仕事だった。「あなたの考える通りにしなさい」と勤務地などに口出ししなかった和歌子さんが、自身が戻ってくることを喜んでくれたのが、一番うれしかった。
 1日に市役所で行われた新採用職員の辞令交付式。石川さんは新職員代表で服務の宣誓をした。配属先は子ども未来課。「職場の皆さんがとにかく優しい。『お父さんの面影があるね』とも言われました」と笑みを浮かべる。
 忠弘さんを知る元同僚らもエールを送る。ある職員OBは「真面目に仕事に取り組み、とても穏やかな人だった。地元の体育協会やスキー協会などでも熱心に活動し、公私で地域に貢献していた。結香さんも頑張ってほしい」と話す。
 「子どもから高齢者まで、健康であることが暮らしの基本。部活動に励む世代に、栄養学に触れさせたい。でもまずは一日も早く仕事を覚えて職場の力になりたい」と抱負を語る石川さん。父は地元で働くことを母と同じように喜んでくれているだろうか──。「きっとそうだ」と信じている。そんな優しい父に誓う。
 「お父さん、頑張ります」