大震災15年/History3.11 あの日から⑫ 多くの人が地元で輝けるステージを ネイルサロン、Edit&Co合同会社経営・及川由里子さん 

▲ 現在は立根町に店を構え、ネイルサロンを経営しながら会社を運営する及川さん

 東日本大震災発生時、大船渡市大船渡町でネイルサロン「ラグジュアリーネイル」を経営していた及川由里子さん(51)=同町=は、店舗を丸ごと津波にのまれた。
 その後、サロンの経営を立て直す過程から自身の働き方や、やりたいことを見つめ直してきた及川さんは、経済同友会などによる東北未来創造イニシアティブの提案を受け、気仙、釜石、気仙沼各地区の市町や商工団体などが連携して開いていた人材育成プログラム「未来創造塾(未来塾)」の研修を受けたことで、女性が活躍できる場の創出や地域課題の解決など新しい価値観や視点を獲得し、これを新しい事業に反映。記事の執筆代行・指導、Webサイトの作成・運営サポートなどを手がけるEdit&Co.合同会社を令和3年に設立し、いまはネイルサロンとの2本柱で、地域に深く根を下ろしながら、広く事業を展開している。


 

 発災当日、サロンの店内にいた及川さんは車で高台へ避難。家族は無事で、サロンとは別にある同町の自宅も被災を免れたが、店舗は跡形もなく津波に流された。
 津波が去ったあと、がれきの山を前にして「ネイルなんて、何の役にも立たない」と投げやりな気持ちに陥った及川さん。それでも、震災から立ち直るきっかけをつくってくれたのは、ネイルや美容の力だったという。
 「先日、津波に襲われてから初めて化粧水をつけました」
 及川さんが発災から11日目に更新したブログには、こうつづられている。震災前まで、ささいな日常の一工程だった肌のケアや小さなおしゃれが、気持ちを前向きにさせてくれた。
 3月末ごろには、被災した利用客からサロンの営業再開を望む声も寄せられ、「こんな状況下でも、できることがある」と準備を始めた。そして5月、手つかずだった持ち家の一角でサロンの営業を再開。その後、仮設店舗を経て、現在は立根町に構えた店舗でサロンを経営している。
 利用者の中には、身近な人が津波の犠牲になったり、行方が分からない状態の人もおり、再開直後から数年間は、ネガティブな話題と向き合う時間も多かった。及川さんも震災から2年が経過したころ、店を開けられないほど自分の心が疲弊しているのを自覚した。
 及川さんにとっては、この出来事が自身の働き方を見つめ直すきっかけになったといい、平成27年に第3期の未来塾を受講することにもつながった。


 

 未来塾での学びから、及川さんはネイルに限定せず、「女性が輝く」とは何か──との視点で新事業の構想を練り、女性の仕事や働き方に関する事業という方向性を決定。働く意思があっても、さまざまな事情から働くことができない女性がいる問題の解消を目指した。
 しかし、未来塾の修了時点では、このアイデアを形にするには至らず、ネイルの仕事を続けながら、事業構想に頭を悩ませる日々を過ごすことに。その後、コロナ禍による在宅業務の増加といった社会背景を起点に、未来塾のつながりによる専門的なアドバイスに助けられながら構想を見直し、令和3年、市の女性企業者等交流ネットワーク「けせん女志会」で出会った仲間とともにEdit&Co.合同会社を設立した。
 及川さんが最高経営責任者を務める同社では、企業のウェブサイト作成、記事執筆の代行、SNSの運用サポートといった、携帯電話やパソコンで完結する仕事に着手することから始め、徐々にオンライン、オフラインを問わず事業の幅を広げていった。
 現在は女性に限らず、働きづらさを感じている人にスポットライトを当てた事業展開を構想しており、新しい挑戦にも意欲的な姿勢を見せる。
 あの日、未曽有の大災害によって一瞬にして崩れ去った日常。多くのものを失った中、及川さんは挑戦の機会を生かし、価値観や視点を更新しながら実績を積み上げていった。
 震災から15年を迎え、「将来を担う若者たちに何を残せるのか」と、また一つ新たな指針を立てた及川さん。この地域で働くことを望む若者たちが輝けるステージを用意する。そんな希望を胸に、挑戦と変化を重ねた先にたどり着いた現在地を見つめる。