災害対応支えた手作り弁当 発災1カ月間で4・5万食無償提供 碁石給食㈱ 創業50周年前に地域貢献誓う
令和8年4月11日付 1面
大船渡市大船渡町赤沢の弁当製造業・碁石給食㈱(濱守秀和代表取締役)は、来年2月で創業50周年を迎える。東日本大震災では、大地震と大津波でライフラインが寸断された状況下、発生翌日から1カ月間、避難所や災害対応にあたる関係機関に簡易弁当など約4万5000食を無償で提供し、地域の復興を食で支えた。きょう11日で、震災発生から15年1カ月。物価高騰や人手不足など、業界を取り巻く環境も変化している中、濱守代表取締役(51)は「何かあったらまちのために動く思いは変わらない」と地域貢献の姿勢を見せる。(菅野弘大)
きょう震災発生15年1カ月
高台にあった同社社屋は、津波の被害を免れたものの、勤務外のところで従業員1人が犠牲となった。電気、ガス、水道などのライフラインは停止したが、地域の有事にいち早く炊き出しを始めた。当時は常務取締役だった濱守代表取締役は「毎日が本当に忙しい日々だった」と振り返る。
自身の生活も仕事も、先行きが見通せない中、「何かあったらうちが動かなければ」と、発生翌日から炊き出しに取りかかった。ステンレスのテーブルに穴を開け、かまどとして使用し、利用客や業者から譲り受けたまきで火をおこして米を炊いた。非常時に備えてストックしていた食材も使いながら、12日はおにぎりといなり計740個を作って給食業務の受託先や避難者に配った。
同社の取り組みはすぐに広まり、ガス会社や電力会社が迅速なインフラ復旧に努めてくれた。水も給水車を回してもらい、配達に使う社用車への給油も優先的に受け入れてもらった。調理も、地元の婦人会や企業、子どもたちが手伝いに加わり「それぞれが協力して頑張ってくれた」と人々の温かさを実感したという。
大船渡青年会議所の専務理事でもあった濱守代表取締役。午前は炊き出し、午後は青年会議所の活動に当たり、当時の鎌田仁理事長や金子正勝副理事長らとともに、他地域の青年会議所から寄付された物資などを避難所に届けた。
その後も、取引先から仕入れた米や市に届く支援物資の提供を受け、炊き出しを継続。時間をかけず大量に生産できる簡易弁当に切り替え、提供先も避難所のほか、災害対応にあたる市役所、消防、警察などを中心とした。
しかし、従業員からの反発もあった。「こんなことをやってお金になるのか」。濱守代表取締役は「正直、給料の支払いは先がどうなるか分からなかった。でも、多くの命、家が失われ、食べるものがない中で、うちでできるなら普通やるだろうと。なぜそんなことを言うのか、今でも思い出すと悔しい」と心境を語った。
「碁石給食の弁当を食べたら、あとで請求が来た」と、避難所でうわさが立ったこともあった。完全無償で提供していたが、あるところで「少しでもいいから請求してくれ」と言われ、善意の言葉に一度だけ甘えた。受け取ったのは、採算度外視のわずかな金額だったが、それが誤解を招くような形でうわさとして広がっていた。
「従業員の反発もあったが、地域のために頑張っている中で、最高に頭にきた。こちらがどんな思いで炊き出しをしているか、悔しくて涙が出そうだった」
それでも、こみ上げる怒りや悔しさを抑え、目の前のやるべきことに力を注いだ。震災翌日から1カ月間で提供したおにぎりや簡易弁当の数は、4万4720食に達した。「食事を作る設備があり、ノウハウを持つ従業員もいる。電気やガス、水、ガソリン、物資を優先してもらえたから、続けることができた。従業員の皆さんが本当に頑張ってくれた」と感謝する。昨年2月の大規模林野火災でも、市の要請を受けて、避難生活を送る住民らに1日3食、食事を届けた。
「まちのために」と情熱を注ぐ濱守代表取締役の思いの根底には、地元にUターンして同社で仕事を始めた20年以上前の印象的な出来事がある。「すしの配達に訪れた家の玄関を開けると、おじいちゃんとおばあちゃん、小さい子どもたちが笑顔で来るのを待っていて、すしを見て喜んでいた。その光景がすごくうれしかった」。お客さまの喜ぶ笑顔を見るため、きょうも早朝から現場での業務に従事する。
昭和52年の創業から、来年2月で50周年を迎える同社。今年2月にリニューアルオープンした店舗の看板には、濱守代表取締役の思いを込めて「~あふれる笑顔のお手伝い~家族の団らんお届けします!!」とのフレーズを載せた。
「50周年の節目だが、これからも変わらない姿勢で仕事をしていく。災害など、まちに何かあった時は、会社の全てを出して役に立ちたい。地域に必要とされる会社であり続けたい」と決意をにじませる。





