宮沢賢治作『氷河鼠の毛皮』から新考察── 水上助三郎との関係に着目 市立博物館専門研究員の佐藤さん論文に
令和8年4月21日付 7面
大船渡市立博物館専門研究員の佐藤悦郎さん(74)=猪川町=は、宮沢賢治の童話『氷河鼠の毛皮』から、賢治と三陸町吉浜出身の水上助三郎とのつながりを考察する論文をまとめた。作中の「氷河鼠」は人類の狩猟などによって絶滅したとされるマンモスゾウ、さらに「若い船乗り」は助三郎と指摘。助三郎は明治期に「オットセイ王」と呼ばれるほど猟で富をなし、その後にアワビの資源保護に乗り出すなど、大量捕獲と資源管理を実践した生涯を作品にもにじませたとみる。(佐藤 壮)
水上助三郎像=三陸町吉浜
短編の『氷河鼠の毛皮』は、大正12(1923)年に発表された。12月26日の夜に、イーハトーヴ発、北方のベーリングを目指す夜行列車の車内が舞台となる。
氷河鼠をはじめ動物の毛皮でつくった多くの防寒着を身にまとい、900匹もの黒狐を捕りに行くという男は、酒に酔って他の乗客にからんでは、見下すような言葉を放つ。列車が突然止まると、白熊が突如車内に入り、男を連れ去ろうとするが、それまで車内で男と会話を交わしていなかった「若い船乗り」が突如助けに出る。
過剰な捕獲をうかがわせる衣服に、賭けを目的とした狩猟をひけらかす傲慢な男が狙われる一方、若い船乗りは「生きるため」の狩猟を語るとともに、「あんまり無法なことはこれから気を付けるように云う」と伝える。すると、熊たちは去り、列車は再び動き出す──というストーリー。
佐藤さんは、氷河鼠が具体的にどのような動物を指すのかが、博物館職員時代だった40年ほど前から気になっていた。作中でも、大きさや体形の特徴などは表現されていない。
こうした中、博物学者や生物学者、民俗学者として知られる南方熊楠が明治期にまとめた『マンモスに関する旧説』にある「中国に伝わる氷下の大鼠は、100年前にシベリアで発見されたマンモスゾウに似ており…」との記述に注目した。
また、「若い船乗り」は水上助三郎と考察。北方のベーリング海まで船で出向き、圧倒的な数のオットセイやラッコを捕獲したとされるほか、繁殖時の陸上捕獲まで行い、海外では船の拿捕にも直面したという。国際的な条約による捕獲制限後は、吉浜でアワビの保護繁殖などに乗り出した。
佐藤さんは、賢治はこうした助三郎の足跡を、元釜石市長の鈴木東民から聞き及んでいたと考察。東民は賢治と交流が深く、助三郎は東民の父から猟に出る船の建造で支援を受けていた。
長年、マンモスゾウの絶滅は、気候変化が主因とされてきた。佐藤さんは、賢治が作品を通じて、絶滅に人類の狩猟が大きく関与していたことを独創的に表現したとみている。
論文では「動物殺戮と、狩られる者たちによる逆襲─列車襲撃を(オットセイなどの)海獣の大量捕殺と激減、これに伴う猟船拿捕の恐怖に転換した物語。過去と現在を結び、人間と動物の生命のやりとりを示しながら、他の童話同様に、読者自らに考えるよう促した秀作といえる」などとまとめた。
佐藤さんは、論文誌を発刊する岩手県地学教育研究会に投稿。「賢治は助三郎のことを、海を耕し、保護に力を入れる人物としてみていたのではないか。地球科学のフィルターで、作品が持つ意味を考察した。今後も、賢治の作品を地学の観点で楽しめる方法を探りたい」としている。






