大震災15年/History3.11 あの日から⑭ NPO法人こそだてシップ 県内外の助産師らに支えられ
令和8年4月30日付 1面
災害対策基本法において、高齢者や障害者などと並び「避難行動要支援者」に定義される妊産婦と乳幼児。迅速な避難が難しく、避難後の生活にも気を使う──かつての「災害弱者」という呼び名が示す通り、小さな命を抱える母親は、災害時に弱い立場に立たされることが多い。
15年前の東日本大震災でも、気仙両市の母子が困難に直面し、不安な日々を過ごすことになった。こうした母子を救おうと尽力したのが、当時はまだ任意団体だった大船渡市のNPO法人・こそだてシップ(伊藤碧代表理事)だ。「被災地の母子を応援したい」との思いを持った県内外の助産師らに支えられ、さまざまな事業に取り組んできたこそだてシップ。現在は子育て支援に加えて乳幼児の防災にも力を入れ、育児中ならではの教訓を次世代に伝えている。
◇
こそだてシップの前身となる出張助産師の会「母子サポート」は、気仙の助産師有志らが平成21年5月に結成した。「YSセンター母子相談室」の定期的な開設など、親子に寄り添った活動を精力的に展開し、〝地域の子育て支援団体〟として徐々に知られるようになってきた──そう手応えを感じ始めていた矢先の東日本大震災だった。
母子サポートの中心メンバーである伊藤怜子さん(82)=大船渡町=は、避難者の健康を守るため、発災当日から看護師として奔走していた。初めて高台からまちの様子を見たのは発災4日目。被害の大きさに立ちすくんでいるうち、不意に浮かんだ顔があった。数日前、母子相談室に来ていた親子。「あのお母さんたち、赤ちゃんたち、一体どこに、どうなって……」。その瞬間、頭が〝助産師モード〟に切り替わった。
23年5月、母子相談室を「にこにこ」と改名し、盛町のサン・リアショッピングセンター内で再開。同年9月にはママサロン「ママ&ベビーサロン大船渡・陸前高田こそだてシップ」を開設し、24年5月からは巡回活動「赤ちゃん訪問こそだてシップ」を本格的にスタートさせた。
〝立て続け〟ともいえるスピードで、新たな取り組みに踏み切った母子サポート。その背景には、県内外の助産師らの支えがあった。被災地支援団体に所属する助産師の熱心な働きかけで上京し、そこに集った人々の「被災地の母子を応援したい」という熱意に背中を押され、余力がない中でママサロン開設を決めた。マンパワーが必要な赤ちゃん訪問を実現させたのも、東京や県内各地から駆け付けた助産師たちだ。「本当に人に恵まれた。たくさん支えられた」。伊藤さんは今でも、全国の〝助産師仲間〟をはじめとする全ての関係者に対し、深い感謝の思いを持ち続けている。
◇
ママサロンや赤ちゃん訪問などの活動により、「こそだてシップ」の名前が地域に浸透し始めた25年5月。任意団体だった母子サポートは、NPO法人こそだてシップとして再スタートを切った。伊藤さんが同法人の初代理事長に就き、気仙両市に「子育て支援要望書」を提出するなど、行政との連携にも力を入れた。
26年7月、ママサロン開設に伴い23年12月から休止していたサン・リア内の母子相談室「にこにこ」を、「すくすくルーム」と名称を変更したうえで再開。当時、サン・リアは開店30周年を前に全面改装工事を控えていたが、サン・リア、大船渡市、こそだてシップの3者会議を開くなどして調整し、改装後もすくすくルームは引き続き開設されることが決まった。
サン・リアは27年11月にリニューアルオープン。この間、こそだてシップと同市が子育て支援拠点運営業務委託契約を締結したことにより、新たなすくすくルームは市の子育て支援センターの一つとして位置付けられた。ショッピングセンター内に子育て支援センターが設置されたのは、市内では初めてのことだった。
旧すくすくルームの広さは18平方㍍ほどだったが、新すくすくルームは約200平方㍍に拡大。未就学児とその保護者が憩うプレイルームのほか、授乳室、おむつ交換室、相談室が設けられた。プレイルームには大きな窓も取り付けられ、明るい日差しが親子の笑顔を照らす空間となった。(新沼麻波)=6面に続く=






