大震災15年/History3.11 あの日から⑮ 「海の記憶」と心をつなぐ カキ養殖業・大和田晴男さん

▲ 船上で高田東中生にカキの成育状況について説明する大和田さん(左端、令和8年2月)

 「カキは環境が良くないと生きていけない。今季は丈夫な小さいカキは無事に育ったが、いっぱい餌を食べる大きなカキは振るわなかった」──。今年2月下旬、広田湾に浮かぶ養殖いかだに寄せた船上で、陸前高田市米崎町の漁業・大和田晴男さん(73)は、海から引き揚げたばかりのカキを見せながら、地元の高田東中学校の生徒たちに成育状況を説明した。
 説明が行われる間も静かに揺れる船。磯の香り、風の冷たさ、海から見えるふるさとの景色など、五感で地元水産業の現場を味わった生徒らは、終始真剣なまなざしで大和田さんの話に聞き入った。
 作業場がある米崎町脇の沢地区の脇之沢漁港に戻ってからは、水揚げしたカキの殻むきを体験。ナイフを殻に刺し、貝柱を切ってカキの身をとり出す方法をベテランたちから教わるも、なかなかこつをつかめず四苦八苦した。それでも、殻が開いた瞬間には小さな歓声が上がり、表情がぱっと明るくなった。
 むいたカキは、生徒たちが1年生だった令和6年5月に種付けしたもの。生徒らは「最初は1㌢ぐらいだったカキが15㌢ほどまで大きくなっていて驚いた」と、海産物が育つ喜びも体感した。
 大和田さんは「子どもたちが外に出たときに、広田湾のカキをPRしてほしい」と願う。地元のカキを、海を、地域産業を守るための一つの手だてとして、東日本大震災後も続く体験授業に希望をつなぐ。


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 大和田さんが体験学習に携わるようになったのは約30年前。息子が通っていた旧米崎中学校で、総合学習の一環として「地場産業を生徒たちに体験させたい」という機運が高まったことを受け、カキ養殖体験の講師を請け負った。
 はじめは、大和田家で使ういかだの一部を体験用に提供していたが、管理上の難しさがあり、平成13年から地元漁協の協力を得て中学校専用のいかだを設置。春の種付け、夏の温湯駆除、冬の収穫と、カキを育てる一連の流れを体験できるプログラムが整えられ、学校の恒例行事として定着していった。
 23年3月の大震災では、漁業施設が流失する甚大な被害を受けたが、大和田さんは「ただでさえ我慢している子どもたちにこれ以上の我慢をさせたくない」と、体験学習を再開。同年7月に市森林組合から木材の提供を受け、破壊された同校の養殖いかだを生徒らが一から作り直した。
 2年後の25年、米崎中は小友、広田両中学校と統合。高田東中学校となったあとも、米崎中の伝統の養殖体験は新設校へと引き継がれ、現在に至っている。


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 大和田さんは、3中学校が統合された頃について「米崎中の時よりも人数が増えると聞いて、対応できるか不安はあった」と振り返る。「少子化の時代ということもあり、なんとかできるだろうとの思いで継続を決めた。家族や脇の沢の漁業者、地域の協力があって続けられている」と周囲の支えを強調する。
 生徒たちに語った「カキは環境が良くないと生きていけない」という言葉は、海の環境を指す意味にとどまらない。養殖を担う漁業者、出荷を支える人、買い手に届ける流通や販売、海を学び次の世代へ伝えていく人たち──一つ一つの〝点〟がつながることで、初めて海産物は「育つ」のだと、体験の時間は教えてくれる。
 地元の漁場で生徒らが実際に感じた、水揚げされたカキの重みやナイフを入れる手応え、漁業者との会話などの「海の記憶」は、将来ふるさとを離れたとしても広田湾やカキを思い出すトリガーになる。
 海で過ごした時間が、「もっと知りたい」「守りたい」という気持ちを育てる。そこから、水産業を支える人が増えていく好循環が生まれてほしい──。大和田さんが守り続けてきた体験学習は、カキを育てる授業であると同時に、海や地域を思う心を育む授業でもある。(阿部仁志)=7面に続く=