三陸町綾里・砂子浜大家 「持仏堂」の価値再評価へ 東北工大建築学部の中村教授 実測図面の作成に向け調査
令和8年6月23日付 1面
「砂子浜大家」として知られる大船渡市三陸町綾里字砂子浜の旧家・千田家にある持仏堂(お御堂)の実測図面作成に向け、宮城県仙台市にキャンパスがある東北工業大学建築学部の中村琢巳教授(48)が調査を進めている。デジタル技術を生かし、内部のふすま絵や欄間の彫刻を含めた歴史・文化的な価値に加え、江戸時代に建立されて以降の変遷の取りまとめを見据える。豊かな装飾などで知られる建物そのものの再評価に加え、市内では住家の敷地内にお御堂が多いとされる背景にも迫る方針で、調査成果が注目される。(佐藤 壮)
建立以降の変遷も迫る

内部の装飾なども調査
中村教授はこれまで、陸前高田市気仙町にある旧吉田家住宅主屋の復旧指導にあたったほか、小友町の気仙大工左官伝承館が所蔵する大工道具の調査も行うなど、気仙の建築物に造詣が深い。今月6、7の両日、研究室の学生とともに千田家を訪れ、実測調査を行った。
調査を踏まえ、大学では内装の様子を表す平面図や、外観図の作成を進める。これまでも図面が作成されたことはあったが、手描きのものだったといい、デジタル技術も生かしての作成によって、歴史・文化的な価値評価につながる学術記録としての取りまとめを見据える。
千田家は戦国時代におこり、砂子浜に集落を開いたと伝わる。江戸時代には、漁業・林業などを営み、生産物を江戸といった遠隔地へ移出する回船商人として栄え、当主は仙台藩治下の綾里村の肝入にも就いた。
海に関わる産業を通じて、住民のなりわいや、地域社会の形成に大きく貢献。漁業経営を担う網元に加え、幕府が推進した長崎俵物(干しアワビ、いりナマコ、フカヒレ)の生産にも関わり、沿岸の繁栄を支えたとされる。
明治時代以降も区長や村長といった公的な役職に就くなど、地域の〝顔〟としての役割を担ってきた。千田家の土蔵などで代々引き継がれてきた約3万6000点の古文書は、研究者の注目を集め、質、量ともに全国的にも貴重な史料群としての価値を誇り、昨年、岩手県立博物館に寄贈された。
また、浄土真宗(東本願寺大谷派)の門徒とされ、持仏堂は江戸時代の元禄年間に建立し、その後、建て替えや改修があったとされる。外観のたたずまいや、内部の彫刻、ふすま絵は、寺院そのもののような雰囲気が漂う。
金色に輝く本尊の阿弥陀如来像は、京都・東本願寺の許しを得て特注し、関係書類が千田家で長年大切に保管されてきた。かつては近隣に真宗寺院がなく、葬儀など宗教儀式の多くを堂内で、当主自らが執り行うこともあったという。千田家は、地域の信仰のよりどころとしても歴史を重ねてきた。
15年前の東日本大震災では津波が土蔵に押し寄せ、昨年2月に発生した大規模林野火災では近隣の山林に火の手が及んだが、建物は失われることなく今も残る。令和5年に14代当主・千田基久兵衛さんが94歳で亡くなったあとも、親族らが管理を続け、大学研究者らの調査を受け入れてきた。
千田家の持仏堂に関しては、建物の詳細な変遷、構造の特徴などで明らかになっていない面も少なくない。建物そのものや内部の装飾、大工の技術に着目した調査は珍しく、これまでの古文書研究などでは明らかになっていない分野での成果も注目される。
中村教授は「千田家の持仏堂は、大規模な造形で装飾が凝らされ、市内を代表するものではあるが、大船渡には持仏堂がある屋敷が多くあり、何か文化的な背景があるのではないか。そういった部分も考察したい」と話している。






