生かされた命「前向きに」 竹駒町の小林さん 震災15年半 行方不明の母に誓う
令和8年9月11日付 7面
陸前高田市竹駒町の介護福祉士・小林一人さん(67)は、東日本大震災津波で気仙町今泉地区にあった実家が被災した。母・富子さん(当時78)は今も行方が分かっていない。きょうで震災発生から15年6カ月。小林さんは、つらく悲しい現実を胸にとどめ、世界からの支援やつながった人との絆に感謝しながら「生かされた命。前向きに生きる責任がある」と、あの日から会えなくなった母に思いを誓う。(菅野弘大)
大船渡市大船渡町の福祉施設に勤務していた小林さん。震災発生当時は、利用者を連れた外出先で大地震に遭った。「津波が来る」と直感し、利用者をバスに乗せて高台にあった施設に戻り、町内に目をやると「バキバキ」という音とともに土ぼこりが上がっているのが見えた。
津波を目の当たりにし「高田は終わったと思った」。小林さんの自宅は竹駒町だったが、気仙町今泉の気仙川にほど近い仲町地域に実家があった。勤務する施設には避難所が開設され、高田に戻ることができたのは発生から2週間以上が経過してからだった。
実家のあった仲町地域は、30世帯の全戸が被災し、地域住民24人が犠牲または行方不明となっている。小林さんは、連絡の取れない母を捜して避難所を回ったが、見つけることができなかった。約半年間、仕事のかたわらで遺体安置所にも足を運び続けたが、ついに再会はかなわなかった。
変わり果てたまち、会えない家族──。仕事帰りの車の中で悲しみに暮れた。高田の惨状や自らの置かれた立場を他人と比べ、腹が立った時もあった。でも、仲町地域に住んでいた知人には、妻や子どもが犠牲となった人もいた。「自分だけでなく大変な思いをしている人がたくさんいる」。悲しみは尽きなかったが、つらくやるせない思いを振り切り「負けねえべ高田!」と気持ちを奮い立たせた。
勤務先を陸前高田市内に移し、生きていくために福祉の現場で懸命に働いた。仲町地域の町内会は、震災で住民らが散り散りになり、解散を余儀なくされた。
それでも、高校時代から長年活動に参加し、仲町地域住民らで継承してきた今泉地区の伝統芸能「仲町虎舞」は、道具流失の被害を受けながらも、がれきの中から小さいサイズの〝子虎〟の頭が奇跡的に見つかったのをきっかけに、平成24年10月の舞台で復活を果たした。自身も、元仲町住民で構成し、仲町虎舞を継承するなかまち「絆」の会のメンバーであり、現在は震災後に移住した若手メンバーらが踊りに加わり、各方面からの出演オファーも増えた。
「町内会は解散しても、虎舞のおかげで地域のつながりは強い」。災害に負けずに続く虎舞の活動が、いつしか生きる力になっていた。
実家跡地のそば、津波で流失した仲町公民館跡地のかさ上げ地に建立された「鎮魂の碑」には、犠牲となった住民らとともに、母・富子さんの名前も刻まれている。近所でのお茶のみや旅行が好きだったといい「(震災の)2日前に電話した時は『青森にいる』と話していて、震災でも無事だと思っていた。津波が来た時、母がどんな行動をとっていたかも分からない」と思いを巡らす。
「あの日、突然命を奪われた人たちが大勢いる。生かされた自分にできることは、死なずに生き抜くこと。それが亡くなった方々に対する責任だと思っている」と語る小林さん。「人生いろいろあるが、周りの人たちと一緒に楽しく生きていきたい」と、きょうも明るい笑顔を絶やさない。






